番組ガイド うらばなし


<特集>
【イマジン プロジェクト】
コロナに感染して苦しんでいる人、収入が無くなり困っている人、感染した病人を救うために働いている医療従事者を慰め、応援するための番組です。
出演するのは長年、クラシック音楽の仕事をしてきた『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーが知り合った演奏家たちで、彼ら自身もコロナで仕事が無くなり困っています。
「イマジン」は他人の苦しみを想像して、手を差し伸べようという、ビートルズの名曲に因んだ番組名です。
演奏家たちの熱いメッセージを添えた演奏をお聴きください。
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<平和の歌声>
【エルサレム・ユース・コーラス 日本公演】
このコーラスはイスラエルのエルサレムに本拠を置き、イスラエルとパレスチナの高校生が参加しています。長年敵対する両国の若者たちが、音楽活動により民族融和と世界平和の実現をめざす、夢と理想の合唱団です。
この合唱団を設立したイスラエル系アメリカ人のマイカ・ヘンドラー君は2011年にエール大学合唱団Whiffenpoofsのメンバーとして来日した時に、日本公演の主催者である宮島将郎(現『昔のテレビ局』プロデューサー)と知り合いました。
マイカ君はエール大学で音楽と国際関係論を学び、イスラエルで複数民族の合唱団を結成する計画を話し、宮島は賛成しました。その計画が実現して、エルサレム・ユース・コーラスが2014年に来日した時のコンサートを収録したのがこの番組です。
エルサレム・ユース・コーラスは東京と京都でコンサートを開き、合唱団の由来を知る聴衆は涙を浮かべながら演奏を聴き、万来の拍手を贈りました。
エルサレム・ユース・コーラスの来日は毎日新聞を初めとする新聞各社、NHK、日本テレビ、TBSのニュースで流れました。宮島とマイカ君は2021年の来日を計画しています。
(お詫び)申し訳ありませんが、コンサート会場には遠い客席の天井から吊るしたカメラの映像しか残ってなく、画質が悪く出演者のアップも見られません。
画面はあまり気にせず、彼らの歌声を聴いてください。
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<テレビ番組>
「海を越えた歌声」~徳島少年少女合唱団~
四国放送 昭和54年8月8日放送
その年の春、ヨーロッパのコンクールに出場した徳島少年少女合唱団の報告記念番組で、『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーが当時勤務していた日本テレビで作りました。
番組で演奏されるのはコンクールで演奏した合唱曲を中心に、演奏旅行のエピソードをメンバーから集めて放送作家の城悠輔さん(故人)が歌詞を作り、「おもちゃのチャチャチャ」の作曲家、越部信義さん(故人)が歌にしたソロ曲です。
番組の最初に出てきて、合唱団をバックに演説するのは元時代劇役者で四国放送の局長だった村崎孝彦さん(故人)です。 ケネディーの就任演説が同じようにコーラスを付けてアメリカでヒットしたのを真似た演出です。
音楽監督で指揮者の上田収穂さんは、日本で合唱はピアノ伴奏付きが定番だった中で無伴奏(ア・カペラ)の合唱を始め、世界各地への演奏旅行を行いました。
番組では徳島少年少女合唱団のア・カペラ合唱の素晴らしさと、エピソードの面白さを堪能してください。
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<音楽>
「未来からくる演奏家を聴く会」<シリーズ>・・・『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーは、若い頃、日本テレビで数多くのクラシック音楽番組を作りました。
その中のひとつ「私の音楽会」は若い無名の演奏家を世に出す番組で、出演した演奏家たちは今、クラシック音楽界の重鎮として活躍していますが、その筆頭がピアニストの内田光子さんです。
『昔のテレビ局』の番組は宮島が過去20年間、主催している「未来からくる演奏家を聴く会」を録画したものですが、この会は若い演奏家にリサイタルを開く機会をボランティアで提供していて、張り切った演奏家がミスを恐れず演奏するのがお客さんの楽しみになっています。 既に15本の番組があるので、ゆっくりしたペースで見てください。
番組では日本テレビのトップ・ディレクターとして名を馳せた棚次隆ディレクターのシャープなカメラワークが見ものです。
さあ、若い演奏家たちの、階段から足を踏み外しそうな熱演をお楽しみください。
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〈ファンタスティック100連弾シリーズ>A&K生田姉妹デュオ
演奏する生田敦子さんと恵子さんの姉妹は宮島プロデューサーが長年、主催している「未来からくる演奏家を聴く会」の幻の出演者です。というのは、予定していたコンサートが本番直前に病気のためキャンセルされたからです。
ところが今年に入ってから宮島が出演を打診したところ、なんと連弾を100曲、連続してするという壮大な計画を立てていることがわかり、それなら『昔のテレビ局』の番組にしようという話がまとまりました。
クラシックの名曲からいまのヒット曲まで、いろいろなジャンルの曲が登場します。
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山本 準作品<シリーズ>・・・山本さんは熟年サラリーマンから作曲家に転身、いや変身したユニークな人です。
『昔のテレビ局』では、すでに3曲を公開しています。
「ポツダム宣言」は1945年7月26日にイギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において大日本帝国に対して発された宣言文の訳文を素材として山本さんが作曲した作品で、バリトン歌手、ピアノ、トランペットの編成で演奏されます。
「浦賀から真珠湾へ」は何曲もの軍歌を集めて山本さんが構成・編曲した作品で、演奏するのはバリトン歌手、ピアノ、トランペットです。 この2曲には戦争に反対する山本さんの強い思いが込められています。
「銀朱の風」はヴァイオリン、チェロ、ピアノの三重奏の作品で、曲名の銀朱(ぎんしゅ)は硫黄と水銀から人工的に作られた化合物の色で、朱肉などに使われています。
さて、演奏を聴いてみなさんはどんな色を感じるでしょうか。
余談ですが、宮島プロデューサーはFacebookで山本さんと知り合い、番組の相談をしているうちに山本さんが高等学校の後輩だということがわかりました。
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二胡「無限動」・・・世界的二胡奏者の趙磊(ツアオ・レイ)さんのコンサート。
ピアノは阿部篤志さんで、2018年11月7日に東京のけやきホールで収録した番組です。
演奏する曲は中国の古典音楽から現代作曲家の作品までの広いジャンルに亘ってますが、最後に演奏されるイタリアの作曲家ビットーリオ・モンティの「チャルダッシュ」での自由自在な演奏は、とても弦が二本の楽器とは思えません。
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<コーラス>
「アリババと15人の盗賊」<全27回>・・・これは〈アリババと15人の盗賊〉という合唱団のコンサートを記録した番組です。
え、変な名前だとおっしゃるのですか? では説明します。
〈アリババ〉は〈有り婆〉で、メンバーにリーダーの女房が居て、あとの15人は全員男という意味です。
アリババと15人の盗賊は歌謡曲を無伴奏で歌う異色の合唱団で、30年続き2017年に解散しました。
リーダーはなんと、恥ずかしながら(笑)『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーです。
宮島(以下:わたし)は独学で作詞、作曲、編曲、指揮、司会をしているのですが、お客さんを
①眠らせない、
②アンコールが終わるまで帰らせない
③来年も来ようと思わせる
というコンセプトでの演出と司会によって、面白いコンサートだという評判が立ち、どんどんお客さんが増えて、毎年秋にサントリーホールで3日、コンサートをやりました。
ホールの事務所の人たちも、アリババと15人の盗賊はいつも満席で、お客さんが笑っていると言ってサービスしてくれました。
コンサートに招待した事務所の女性や、わたしがやりたいことを知り尽くして完璧にフォローしてくれた裏方さんとは今でも仲良くしていますが、悩ましいのは、また戻って来てください(笑)と言われることです。
若ければ・・・ですね。
番組は30年のうちの15年の記録です。
なにせアマチュアなので聴き苦しく、見苦しいかと思いますが、楽しさだけはわかっていただけると思います。
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「アゲインコンサート」<全14回>・・・アゲインも宮島プロデューサー(以下:わたし)が作った合唱団です。
アゲインはアリババと15人の盗賊で歌謡曲を歌っているうちに外国のポピュラーソングを歌いたくなって結成した合唱団です。
アゲインでは男声合唱にアルゼンチンタンゴで使われるバンドネオンが参加しています。
こんな合唱団は日本ではただ一つです。
バンドネオンは強いアタックと情熱的な音色で男性の合唱にとても良く合う楽器です。
アゲインを結成する前に、わたしはアコーディオンを使おうかと思っていたのですが、アルゼンチンタンゴのピアニスト小松真知子さんがバンドネオンを薦めてくれてバンドネオンに決めました。
小松さんは若い奏者の早川純さんも紹介してくれたのですが、わたしの苦難はそこから始まりました。 わたしはアリババと15人の盗賊と同じようにアゲインでも編曲をするのですが、わたしはバンドネオンを弾いたことが無く、演奏する方法も知りません。
楽器の構造も、両端に並んでるボタン(バンドネオンに鍵盤は無い!)の機能も、出せる音域も、何ひとつ知らず、知ってるのは楽譜がピアノと同じ大譜表(この言葉を知ってますか?)だということだけです。
つまり手探りで編曲を始めたわけですが、若い早川さんは文句ひとつ言わずに弾いてくれました。
アゲインが10年続くうちに、わたしも早川さんのアドバイスで少し進歩したものの、楽器を弾けないで譜面を書くことから起こる問題は解決していません。
アゲインでの司会はわたしでなく、飯野英男さんです。
飯野さんは大学合唱団の2年先輩ですが、西洋人のような風貌と声を見込んで司会をお願いしました。
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<ポピュラー音楽>
「下町お寺タンゴ」・・・荒川区南千住の西光寺の本堂で開催された、アルゼンチンタンゴのライブです。
え、お寺でタンゴ!と驚く人も多いと思います。
チラシに出てるこの日の顔ぶれは
パパ早川(バンドネオン)
ママ美希(ピアノ)
提琴吉田(ヴァイオリン)
和尚笠原(歌)
司会:グランパ飯野
企画:親父ミヤジ
ふざけたコンサートに見えるかもしれませんが、プレーヤーたちは真面目なのでご安心ください。こんなふうにしたのは下町や檀家の人たちが行きたくなるライブにしたかったからです。
演奏した曲目は「エル・チョクロ」、「ジェラシー」、「奥様お手をどうぞ」といったタンゴの定番から、現代曲の「オブリビオン」、「リベルタンゴ」まで幅広く、おまけに西光寺の笠原和尚さんが歌います。
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〈音楽教育〉
サントリーホール室内楽アカデミー・ワークショップ<シリーズ>・・・酒の会社サントリーの貸しホールがこんなことをやってることに驚く人もいるに違いありませんが、やってるのです。
サントリーは50年前からサントリー芸術財団を通じて、活躍した音楽家にサントリー音楽賞を出しています。1986年に開館したサントリーホールの館長でチェロ奏者の堤剛さんは宮島プロデューサーが日本テレビで作った「私の音楽会」の常連ゲストです。
今回の番組はアカデミーの講師のひとりの練木繁夫さん(ピアノ)が宮島に勧めてくれました。練木さんも「私の音楽会」の常連ゲストでした。
初めてワークショップの収録に行って驚いたのは講師には堤さんと練木さんのほかに宮島が旧知の原田幸一郎さん(ヴァイオリン・元・東京クァルテット)と毛利伯郎さん(チェロ・元・読売日本交響楽団)も居たことです。
ワークショップは
A)アンサンブル参加:1.弦楽四重奏 2.ピアノ三重奏 3.その他室内楽編成(ヴァイオリン/ヴィオラ/チェロ/ピアノ)
B)個人参加:1.弦楽器(ヴァイオリン/ヴィオラ/チェロ) 2.ピアノ
を募集して2年間研修します。
アカデミーでは生徒たちの演奏を聴いた講師たちが、曲が作られた背景、楽譜の解釈、表現、テンポ、音の出し方、指使いについて鋭く、しかし温かいアドバイスをすると、演奏がみるみる良くなります。
この指導は、その曲を演奏したことがある演奏家ならではのものです。
この番組は音楽を学ぶ若者たちと音楽が好きな人びとに役立つと思います。
Vol.1
Vol.2

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「アルゼンチンタンゴの極意」
出演:小松真知子(ピアノ)、吉田篤(ヴァイオリン)、田辺和弘(コントラバス)、早川純(バンドネオン)、オルケスタ・デ・タンゴ・ワセダ(早稲田大学)
みなさんはアルゼンチンタンゴを知ってますか?
バンドネオンの情熱的な響きに乗ってセクシーな男女が踊る音楽です。頭をリーゼントに固めた男に操られた女がくるくる回ったり、スラッと伸びた長い足をパッと蹴り上げる様子はたまりませんね。
この番組はタンゴピアノの第一人者で、戦後の日本を風靡したタンゴバンド「早川新平とオルケスタ・ティピカ東京」の最後のピアニスト、小松真知子さんと『昔のテレビ局』の宮島プロデューサー(以下、わたし)とが相談して作りました。
わたしは若い頃、友人に連れられて行った銀座の小さなバーで小松さんのピアノを聴いて、小松さんの虜になりました。 ふだんは優しい顔つきの小松さんがタンゴを弾き始めると形相が一変し、化けます。 わたしはこの時の小松さんにも惚れています。(笑)
公私混同の今回の番組は小松さんにアルゼンチンタンゴ特有のピアノの弾き方を公開レッスンの形で習うものです。 小松さんは、いくらピアノが上手くてもアルゼンチンタンゴは弾けないと言います。
教室は東京、雑司ヶ谷のタンゴバー「エルチョクロ」で、通常の営業の中で開催しました。
だから常連で小松さんのファンのお客さんたちは呑みながら小松さんの講義と、小松真知子タンゴクリスタルの演奏を聴いているわけです。 お客さんにも配った教材は小松さんが作った、タンゴの基本である三拍子の譜例です。
生徒は早稲田大学の学生タンゴバンドの男女二人のピアニストで、一流のプロのミュージシャンと一緒に演奏するのが初めての二人は緊張してましたが、とても良い演奏をしてくれました。
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<絵画と音楽>
「絵画と音楽が織りなす水のコンチェルト」・・・日本画家の川田恭子さんがピアニストの吉村直美さんの演奏を聴きながら、即興で絵を描く番組です。
吉村さんが弾くのは即興曲でなく、良く知られた西洋の名曲ですが、それを聴いて湧き上がるインスピレーションで川田さんが日本画を描き、その絵が会場にセットされた大きなスクリーンに映し出されるのを見ながら吉村さんが弾く、言うなれば東西の文化が響き合って一枚の絵になる画期的なこのイベントが開かれたのは東京、南麻布のセントレホールで、番組はその87分10秒をノーカットで収録したものです。
完成した作品は、なんとその場でオークションにかけられ、会場に詰めかけた川田さんのファンのひとりが落札しました。
さあ、どんな絵が、いくらで売れたかを番組で確かめてください。
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<健康と医学>
「腎臓がんの手術を経験て」・・・大手旅行会社のツアーコンダクターとして世界を飛び回っていた大山あかねさんは、自分の身体に違和感を覚え、検査の結果腎臓がんと診断されました。
いろいろ悩んだ末に手術を受け、今は社会復帰している大山さんが貴重な体験を語ります。
大山さんは宮島プロデューサーが癌から回復した人を探していることを聞いた親しい友人が紹介してくれました。日本人の3人に1人は癌になると言われてますが、みなさんの周りにも癌で苦しんでいる人がいる、いえ、みなさん自身が癌で苦しんでいるかもしれません。
この番組は癌との付き合い方のヒントになると思います。
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〈健康と医療〉
「女医JOYプロジェクト」<シリーズ>・・・3人の女医さんが現代人の悩みに答える番組で、毎週一回、新しい番組が公開されます。
この番組をプロデュースしてる鈴鹿久美子さんの本業は、政治家の秘書の育成です。 鈴鹿さんは自身も秘書の経験があり、その中で痛感したのが、日本の政治を良くするには、良い秘書を育てる必要があることを痛感して始めた仕事です。
政治家でなく、秘書を育てる。 これをどう解釈するかはあなたの自由です。 余談ですが、『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーは田中角栄と個人的な縁があります。
田中角栄の有名な目白御殿は宮島の母方の祖父、田原久吉の屋敷でした。 久吉は島根県出身で、荏原製作所を創立した久原房之助に弟子入りし、久原にその働きが認められて、大金を貰って独立しました。 亀戸に工場を作り、富国強兵の波に乗って大成功した久吉が目白に建てた、総檜づくりで二階建ての屋敷には、当時珍しかった家庭内電話があり、宮島は子供の頃、錦鯉が泳いでいる池で沢蟹をとって遊んでいた〈究極のお坊ちゃん〉(笑)です。
屋敷が角栄の手に渡った経緯は省きますが、だから宮島は角栄と個人的なつながりがあるわけです。 宮島は戦後の政治家の中で、戦争で全てを失った日本で列島改造を成し遂げた角栄だけを認めています。
良い秘書が政治を良くするという鈴鹿さんの考えが実を結ぶことを期待します。
それはともかく、この番組シリーズのテーマは〈健康と医療〉です。
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「呼吸と細胞活性」<全2回>・・・これは大勢の人に見ていただきたい番組です。
『昔のテレビ局』の宮島社長(以外わたし)は2019年5月、昼酒で酔い、階段でつまずいて大怪我をしました。 後頭部を7針縫う頭蓋骨骨折、腰椎の圧迫骨折です。
救急車で運び込まれた病院が気に入らなかったわたしは治療の途中で病院を飛び出した(またやった!)ものの、これからどうするか途方にくれてるところで友人から、試しに受けてみないかと言われて、受けた治療の記録がこの番組です。
わたしを指導(医師ではないので治療と書きません)したのは松本孝一さんという施術師(医師ではありません)です。
子供の頃に身体が弱かった松本さんは空手で身体を鍛え、その中で発見した〈正しい呼吸により細胞を活性化させれば、細胞は自分で治り始める〉ということを、病気で悩む人のために生かしているのです。
しかし、驚いたことに、初めて会った松本さんはわたしの身体に指一本触れませんでした。 仰向けで寝てるわたしに正しい呼吸のやり方を教え、あとは、椅子の立ち方、座り方を教えてくれました。 これで治るのかと半信半疑でしたが、根が素直(嘘!)なわたしは家に戻ってから、習ったことを忠実に実行しました。 「するとどうしたことでしょうか、あれほど、身動きするのさえ大変だったわたしが、しだいに歩けるようになったではありませんか」(ビフォーアフター!)というわけで、わたしは怪我をした半年後にアメリカ旅行をしました。
この2本の番組は公開してからずっと多くの人に見られてます。
自発治癒力を生む養生 呼吸と細胞活性 その1
自発治癒力を生む養生 呼吸と細胞活性 その2

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<戦争と平和>
「広島1945年8月6日午前8時15分~原爆被爆者たちの証言」・・・には4人の被爆者が登場します。
彼らは広島の地図を指差しながら、自分はどこで、どんな体験をしたかを生々しく語ります。
一瞬の閃光の中で完全に崩壊した街の中を命からがら逃げる途中で会った、全身に火傷を負い、助けを求める人を助けられなかった辛さと申し訳けなさ。
戦争のあとの原爆症の苦しみと被爆者へ偏見の中で自分と家族が生き抜いた体験談を聞いていると、二度と戦争をしてはならないという気持ちになります。
さあ、わたしと一緒に1945年8月6日午前8時15分の広島に行きましょう。
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「子どもシネマスクール作品」<全8回>・・・このシリーズは元映画スクリプターの竹下資子さんが作りました。
竹下さんは若い頃、『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーと日本テレビで同僚でしたが、一念発起して映画の道へ進み、撮影現場の全てを記録するスクリプター(記録係)になり、その後NPO法人日本映画映像文化振興センター の代表理事となりました。
宮島が2017年に『昔のテレビ局』の構想を日本テレビ鳩友会(同窓会)の季刊誌に発表したところ、竹下さんは、使い走りでいいから参加したいいう熱烈な手紙をくれました。これに喜んだ宮島はすぐさま竹下さんと話をして、竹下さんが作った子どもシネマスクールの映像を『昔のテレビ局』で公開することが決まりました。
シリーズは〈ソロバン〉〈講談 本牧亭〉〈よさこい踊り〉〈東日本大震災 避難者いじめ〉〈こどもの貧困〉〈地域で支える認知症〉〈道徳のものさし〉〈自転車マナー〉というキーワードで作られていて、現代社会の問題を大人と子どもが一緒になって考えるストーリーの作品です。
出演者のほとんどは素人ですが、制作スタッフはプロで、本格的な作品に仕上がっています。
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<文化>
「多言語・多文化主義と複言語・複文化主義と」・・・国際交流基金から派遣され、ハンガリーのブダペストで日本語教育をしている林敏夫さんが文化と言語との関係を熱く語ります。
林さんは宮島プロデューサーの高等学校の後輩で、宮島が母校の卒業生たちがFacebookに作っているグループに『昔のテレビ局』を手伝ってくれる人は居ないかというメッセージを発信したのに手を挙げてくれたのが番組を作るきっかけです。
林さんが『昔のテレビ局』の真面目な番組は日本語教育の良い教材になると言うので、局は世界各地の日本文化センターに教材として使うようメールで依頼しました。
これは『昔のテレビ局』のグローバル化です。 地球の遠いどこかで外国の人が番組を見てるのを想像すると嬉しくなります。
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<視聴者参加>
「歌う花屋さん」・・・立教大学グリー・クラブOBで筑波の花屋さん、三木啓成さんは歌いながら花を売っています。
三木さんは現役時代のヨーロッパ演奏旅行で、宮島プロデューサーが編曲したビートルズ曲集の「イエスタデイ」のソロを歌いました。
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「AI与太バナシ」・・・今、世界が注目している人工知能(AI)について、前田健一工学博士がAIはこれからどのように進歩するか、そこにはどんな問題があるかを話します。 前田さんはインタビューをする宮島プロデューサーの高等学校の後輩です。
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<昔のテレビ局コレクション>
これはスタッフがYoutubeで見つけた番組です。
「ダニー・ケイとニューヨーク・フィル」<全・後半>・・・今は亡きアメリカの有名なコメディー俳優のダニー・ケイがニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団を指揮します。
指揮の合間にステージを行ったり来たりながらジョークを連発してお客さんを爆笑させ、最後にはアメリカを礼賛して国家を演奏します。
途中で自分は楽譜を読めないと言いますが、眉つばなぐらいに見事な指揮ぶりで、オーケストラがダニー・ケイのアクションに応えて笑顔で動くのも見ものです。
コンサート全体が愛に溢れ、見ていて幸せになる番組です。
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「ホフヌング音楽祭」<前半後半・・・1959年に35歳で亡くなったイギリスの風刺漫画家、ジェラード・ホフヌングは音楽でも風刺の精神を発揮しました。
自らの企画によるコンサートでは指揮棒を握るほどに熱を入れ、漫画と同じに笑いに重点を置いた冗談音楽でお客さんを楽しませました。
この番組では「水道ホースと管弦楽のための協奏曲」などという曲が聴け、いや見られます。水道ホースを引きずってステージに登場した4人の若者がオーケストラと協奏曲を演奏(笑)します。楽器でない水道ホースはズーズーと鳴るだけなので、音楽とは言えませんが滑稽な光景です。
番組へ(「ホフヌング音楽祭」前半)
番組へ(「ホフヌング音楽祭」後半)

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「ハレルヤコーラス」・・・クリスマスのアメリカの屋内フードコートの昼下がり、店内に流れている音楽の音色が突然オルガンに変わります。
曲は「ハレルヤコーラス」の前奏。すると店員らしきひとりの女性が「ハレルヤ!」と歌い始め、男性がそれに続き、レストランの周囲から歌い手が現れ、客が立ち上がりみるみる人数が増えてきます。
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「第九」
ヨーロッパと思われる街角に男性のコントラバス奏者が立っていて、前には裏返しの帽子が置いてあります。彼は町の音楽師。
そこに少女が来て帽子にコインを投げ入れると、音楽師は演奏を始めます。
演奏はヴァレ交響楽団 (the Vallès Symphony Orchestra)
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「ハレルヤコーラス」・・・場所は日本のクリスマスの昼下がりのレストランです。
店内に流れていた音楽が「ハレルヤコーラス」の前奏に変わると、ひとりの女性が「ハレルヤ!」と歌い始めます。
それに男性が加わり、歌い手がどんどん増えて演奏が盛り上がり、初めは驚いたお客さんたちも、演奏が終わると大きな拍手を贈ります。
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「4人のチェリストと1台のチェロによる<チャルダッシュ>」・・・4人のチェロ奏者が1台の楽器で早弾きをします。
チャルダッシュはハンガリー語で「酒場」という意味のチャールダに由来し、兵士が居酒屋(チャールダ)で兵士募集のために踊り、それが農民の改作も交えて次第に芸術的要素を増していき、19世紀にチャールダーシュとなったそうで、お客さんを楽しませる早弾きはチャルダッシュにつきものです。
日本には古館由佳子さんというジプシーヴァイオリンの名手がいます。
話は脱線しますが、10年ぐらい前、わたしがブログに「高橋圭三ビッグプレゼント」という番組にハンガリーのジプシーバンドを呼んだ思い出を書いたのを古館さんが見て、もしかすると自分がハンガリーで習った師匠のバンドかもしれないというコメントをくれました。 わたしは師匠の名前を覚えていなかったので、番組で通訳をしてくれたアジャコシュ・フェレンツさんという、ハンガリー動乱を逃れて日本に来て大学生だった人に連絡して確かめたのですが、師匠の名前はわかりませんでした。
もう一つ脱線しますが、どうしてわたしがフェレンツさんに連絡できたかというと、フェレンツさんは大学卒業後、スタイリーという健康器具を売る会社を設立し、テレビのコマーシャルに出演していたのをわたしは発見して連絡を取ったことがあるからです。 みなさんも🎶スタイリースタイリー🎶という歌をバックに外国人が屈伸する器具の上で体操をしたあと「みなさん、わたしに連絡してください」と言うコマーシャルを覚えておられるかもしれませんね。
そして最後の脱線ですが、フェレンツさんはその後ハンガリーに戻ってビールの製造会社を作り、大成功しているそうです。
4人のチェロ奏者の話に戻りましょう。
演奏する曲はビットーリオ・モンティ作曲の〈チャルダッシュ〉ですが、どの人が、どの弓が、どの手が、どの弦が、どの指が音を出しているのか、さっぱり分かりません。まるで曲芸みたいですが、わかるのは弾いている彼らも楽しんでいることだけです。
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<テレビ>
「ギニョさんカリキュラマシーンを語る」<全9回>
みなさんは1970年代に日本テレビで放送された「カリキュラマシーン」という番組を見たことがありますか。
「カリキュラマシーン」は低学年の小学生と幼稚園児を対象とする教育番組で、初歩の算数と国語を教えたのですが、表現が今のテレビでは使えないもので、子供たちに強烈な印象を与えました。
例えば算数の引き算ではこんな具合です。
・・・・・・
土手の上に死刑囚が10人立っている。
N「死刑囚が10人」
機関銃が4人を射殺する。
N「4人が射殺された。残りは何人?」
画面に10個の白いタイルとその上に10の数字が現れる。
N「タイルが10」
4個のタイルが動いて画面の外に消え、その上に一4の数字が現れる。
N「10引く4、残りは6」
画面は土手のシーンに戻り、残った死刑囚たちが歓声を上げて喜び合う。
・・・・・・
こんなのは自主規制だらけの今のテレビでは作れません。 しかし「カリキュラマシーン」は思いつきで、でたらめをやってたわけではありません。 裏にはきちんとしたカリキュラムがありました。
「山びこ学校」の著者、無着成恭さんが教諭だった明星学園のカリキュラムに従っています。 無着さんは文部省の指導要領に反対して、明星学園独自の教科書を作っていました。
「カリキュラマシーン」を企画していた「ゲバゲバ90分」のプロデューサー、井原高忠さんは無着さんと会い、構想を話しました。 それに賛成して無着さんが言ったのは「子供が喜んで覚えるならどんな教え方でも構わない」でした。
そんなわけで、あのハチャメチャな番組ができたわけです。
「ギニョさんカリキュラマシーンを語る」のギニョさんは「カリキュラマシーン」の中心ディレクター、齋藤太朗(たかお)さんで、風貌がフランスの操り人形ギニョールに似てることからギニョというあだ名が付いた人です。 ギニョさんは「カリキュラマシーン」に自分も出演し、番組の最後に手を振って「じゃまた」と言ってたことで知られています。
さて、『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーは「カリキュラマシーン」のディレクターの一人で「死ぬほど忙しかったけど、死ぬほど作るのが楽しい番組だった」と言います。
「ギニョさんカリキュラマシーンを語る」を見ると、テレビの番組はかくあるべしというのがわかります。
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「宮島将郎今のテレビに喝」<全11回>
日本テレビで「だんいくまポップスコンサート」などのクラシック音楽番組と、伝説的幼児教育番組「カリキュラマシーン」を作った『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーが、テレビはかくあるべしと熱く語ります。
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「パピプペポロン」<全18回>・・・宮島プロデューサーは住んでいる地域のケーブルテレビが面白くないので「パピプペポロン」という番組を作りました。
そのきっかけは、2005年のある夜、宮島が悪名高き2チャンネルの「カリキュラマシーン」の掲示板で大勢のファンが番組について熱心に話しているのを発見したことです。
宮島は自分が演出したシーンについて、あれは誰が作ったのだろうという発言を見て思わず名乗り出ました。そのシーンというのは、男の股にけん玉の玉がぶら下がっている光景に〈またのたま〉という文字が縦に表示され「またのたま下から読んでもまたのたま」というナレーションがかぶさる短いシーンです。ね、変なシーンでしょう?
最初は宮島が誰なのか疑われましたが、宮島がブログで「カリキュラマシーン」のことを書いたのを読んだことがある人が居て、間もなく疑いは晴れ、それからは質問攻めにあいました。
ディレクターはみんな同じですが、番組が将来どんなふうに評価されるか考えず、無我夢中で番組を作っていた宮島はこれに驚きました。 そして「カリキュラマシーン」のような番組を一緒に作る提案をしました。すると何人かが手を上げてくれて、番組名は「パピプペポロン」、テーマは道徳、オンラインで台本を集め、宮島が住む埼玉県入間市で収録することが決まりました。
細かい経緯はhttp://www.papipupeporon.com/で見てください。
そして出来上がったのが18本の20分番組です。全国のケーブルテレビ局が買ってくれるに違いないという宮島の目論見は見事に外れ、総製作費の500万円は空の彼方に消えましたが、懲りない宮島は機会があれば、今度は『昔のテレビ局』で何かやろうと目論んでいます。すでに決まっている番組名は「ガリギュラマジーン」、出演者は全員老人(笑)の教育番組で、局の資金繰りが順調になったら作り始めます。
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<子ども>
「ベビー・ポリスマン」
企画 宮島将郎
構成 城悠輔
音楽 小島希伊子
製作 モザイク
よちよち歩きの赤ちゃんたちがお巡りさんに扮して演じる(?)コントです。
赤ちゃんが勝手に動いたり、交流する光景に、ベテラン俳優のセリフをかぶせてあります。なにしろ赤ちゃんのお巡りさんですから、町はテンヤワンヤです。
撮影は、途中で寝ちゃう赤ちゃんや、泣いたりする赤ちゃんがいて大変でしたが、お母さんたちが付き添ってくれて無事に終わりました。 赤ちゃんたちの愉快なリフを書いたのは放送作家の草分けの城悠輔さん(故人)で、城さんはJ.ユースキーの名前でパーティージョークもたくさん書いています。
シーンを盛り上げてる音楽は、ピアノ教室の先生の多くが使う教材の人気作曲家、春畑セロリさんの作で、番組のクレジットに出てる小島希伊子という名前は春畑さんの本名(かも)です。
さあ、可愛らしい赤ちゃんのお巡りさんたちの仕事ぶりを見てください。
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<ヒーリング>
「ダールンの気ままな旅」<全8回>・・・原作と構成は青島美幸さん、絵本作家と放送作家の二つの顔をもってます。
番組ではダールンという名前の妖精が、わたしたちを春夏秋冬のきままな旅に連れて行ってくれます。
ダールンは毎日が気ぜわしいわたしたちの心を慰め、癒してくれます。
さて、青島さんのことを少し話しましょう。
青島さんのお父さんは放送作家で東京都知事にもなった青島幸男さんです。
青島さんは日本テレビのヒット番組「シャボン玉ホリデー」の台本を書いていて、娘の美幸さんは中学生の頃「カリキュラマシーン」に出演していました。
「カリキュラマシーン」のディレクターだった、『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーは、最年少の美幸さんをみーちゃんと呼んで可愛がりました。
「カリキュラマシーン」が終わってから長い年月が経ち、宮島が『昔のテレビ局』を設立する時、放送作家になっていた美幸さんに声をかけ、美幸さんはダールンの番組を提供してくれました。人の縁はありがたいですね。
さあ、ダールンに会いに行きましょう。
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