番組ガイド うらばなし

番組一覧(五十音順))
あ行
【iPS細胞がひらく新しい医学--山中伸弥博士】
【Aqua Fantasy ~神秘な生き物~】■うらばなし■
【2018年 秋の熱海市 ムーンライトショウ】
【アマデウスがやってきた!】
【アマルそれは希望】■うらばなし■
【アリババと15人の盗賊】<全27回>■うらばなし■
【アリババと15人の盗賊 NHK出演 1992年】
【安藤 開 昭和の歌姫メドレー】■プロフィール■
【イツァーク・パールマン】
【伊藤和也 アフガニスタンに緑と笑顔を】
【安保改定60年 その功罪と今後--五百旗頭真博士】
【イマジン】プロジェクト Stay Home with Music■うらばなし■
青木美樹:ベートーヴェン「ピアノソナタ第13番 変ホ長調 作品27-1」
荒井マリ:「浜辺の歌」「からたちの花」
久保千尋:バッハ「羊は安らかに草をはみ」
近藤由貴:カッチーニの「アヴェマリア」
鈴木萌子:リスト「ペトラルカのソネット第104番」
ドゥオール(藤井隆史、白水芳枝):「新世界より第二楽章」
野畑さおり:「さとうきび畑」「赤とんぼ」「この道」
【インド体験 ワナッカム プロジェクト】
「ワナッカム クリシュナフォークダンスへようこそ!」
「クリシュナフォークダンスとは まずご覧ください。」
【歌う花屋さん】■うらばなし■
【内田光子 Live from Wigmore Hall】
【宇宙戦艦ヤマト】
【歌の早慶戦】
【Ubi caritas(慈しみと愛のあるところ)】
ペンテコストのためのテレコーラス
【海を越えた歌声】~徳島少年少女合唱団~■うらばなし■
【上床直人 マリンバ】
【Joyful Joyful for marimba】
【運命密売人】■うらばなし■
【AI与太バナシ】■うらばなし■
【SNS与太バナシ】
【江戸古典奇術『手妻』: 藤山晃太郎】
【エルサレム・ユース・コーラス】シリーズ
【エルサレム・ユース・コーラス 日本公演】■うらばなし■
【We Wish You...】 The Jerusalem Youth Chorus■メッセージ■
【Home (from Home) 】 The Jerusalem Youth Chorus■うらばなし■
【Home】(Phillip Phillips) - Sam Tsui & The YMCA Jerusalem Youth Chorus■うらばなし■
【A Mashup for Change】 - The YMCA Jerusalem Youth Chorus
【This is the Year】The Jerusalem Youth Chorusのメンバーが2020年から2021年のシーズンを開始するために書いたオリジナル曲。
【Don't Give Up On Me】 - Andy Grammer, feat. the Palestinian-Israeli Jerusalem Youth Chorus
【おうちで室内楽01】くるみわり人形組曲より《小序曲》■うらばなし■
【おうちで室内楽02】くるみわり人形組曲より《行進曲》■うらばなし■
【おうちで室内楽03】くるみわり人形組曲より《こんぺいとうの踊り》■うらばなし■
【おうちで室内楽04】くるみわり人形組曲より《トレパーク》■うらばなし■
【おうちで室内楽05】くるみわり人形組曲より《アラビアの踊り》■うらばなし■
【おうちで室内楽06】くるみわり人形組曲より《中国の踊り》■うらばなし■
【おうちで室内楽07】くるみわり人形組曲より《葦笛の踊り》■うらばなし■
【おうちで室内楽07】くるみわり人形組曲より《花のワルツ》■うらばなし■
【尾崎治夫(東京都医師会会長)インタビュー 「縦割り打破」ならばコロナ対策で省庁横断の独立機関をお願いしたい。】

【おしえて! イチロー先生】
か行
【絵画と音楽が織りなす水のコンチェルト】■うらばなし■
【加勢百合子 ヴァイオリン演奏 表現力UP講座】
【映画カーネギーホール】
【カリキュラマシーン】■うらばなし■
【感染しないピアノデュオ01 】■うらばなし■
【感染しないピアノデュオ02 】■うらばなし■
【ギニョさんカリキュラマシーンを語る】<全9回>■うらばなし■
【近代日本の映像】<シリーズ>■うらばなし■
【クリストファー遙盟 尺八の世界】<シリーズ>■うらばなし■
クリストファー遙盟のインタビュー
地歌「ままの川」
「琉球ロンド」
「ささがにの」
地歌「酒」(笹の露)
明暗流古典尺八本曲「虚鈴」
琴古流古典本曲「下り葉の曲 」
【ことば・文化・歴史】<シリーズ>■うらばなし■
【子どもシネマスクール作品】<全8回>■うらばなし■
小松真知子 タンゴ・ピアノ塾【アルゼンチンタンゴの極意】■うらばなし■
小松真知子&タンゴクリスタル【ラ・プニャラーダ】■うらばなし■
【コミックブラス"Mnozil Brass"の愉快な演奏】
【コロナに負けるな!】陸上自衛隊中部方面自衛隊(鶫真衣)■うらばなし■
いのちの歌(鶫真衣)
友~旅立ちの時~(鶫真衣)
威風堂々(鶫真衣)

栄冠は君に輝く(鶫真衣)
スタンド・アローン(鶫真衣)
長崎の鐘(鶫真衣)
さ行
【サタデーナイトデュオ】
30重奏【情熱大陸】■うらばなし■
【サントリーホール室内楽アカデミー・ワークショップ】Vol.1■うらばなし■
【サントリーホール室内楽アカデミー・ワークショップ】Vol.2■うらばなし■
【三密の恋】)■うらばなし■
【下町お寺タンゴ】■うらばなし■
【自発治癒力を生む養生 呼吸と細胞活性】その1■うらばなし■
【自発治癒力を生む養生 呼吸と細胞活性】その2■うらばなし■
【シャボン玉ホリデー】
【女医JOYプロジェクト】<シリーズ>■うらばなし■
【腎臓がんの手術を経験て】■うらばなし■
【鈴木大介 ギター】
世界三大テノール
ルチアーノ・パヴァロッティ
プラシド・ドミンゴ
ホセ・カレーラス
音楽朗読劇【戦場と、恋文】■うらばなし■

た行
【第九交響曲】■うらばなし■
高橋てつやバンド【わすれもの】■うらばなし■
高橋てつやバンド【人間の交差点】■うらばなし■
【ダニー・ケイ】
【ダニー・ケイとニューヨーク・フィル】■うらばなし■
【ダニー・ケイ指揮 Television City Philharmonic 1964】
【ダニー・ケイ 五つの銅貨】
【ダールンの気ままな旅】<全8回>■うらばなし■
バルコニーから【誰も寝てはならぬ】■うらばなし■
【小さいマスク見つけた】■うらばなし■
【茶道】<シリーズ>■うらばなし■
【追憶】オペラショウ 大震災メモランダム
【追憶】筒美京平
東京60WATTS【ファンファーレ】

な行
【中森明菜「~夢~'91 AKINA NAKAMORI Special Live」】■うらばなし■
【中村哲氏】
【長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典】
【長崎平和祈念式典に寄せられたメッセージ】
【懐かしのポップスコーラス】

Lennon Sisters "Mockingbird Hill"
Lennon Sisters "Dominique"
The Ronettes – 1963 "Be My Baby"
Andrews Sisters "Boogie Woogie Bugle Boy"
二胡【無限動】■うらばなし■
【西鋭夫】国際政治学者 西鋭夫 政治と歴史に鋭く切り込み、解説
【日本一短い「母」への手紙】■うらばなし■
【日本学術会議が問題だらけだとみてしまうメンタリティーについて】
は行
【バイデン/ハリス勝利演説】
【Happy Birthday to you】ピアニスターHIROSHI
【パピプペポロン】<全18回>■うらばなし■
【ハレルヤコーラス】米国■うらばなし■
【ハレルヤコーラス】日本■うらばなし■
【ビギン ザ ビギン】エレノア・パウエル&フレッド・アステア■うらばなし■
【広島市 平和宣言(令和2年(2020年)8月6日)】
【広島1945年8月6日午前8時15分~原爆被爆者たちの証言】■うらばなし■
【ファンタスティック100連弾】<シリーズ>■うらばなし■
【Foot Piano?】■うらばなし■
【ブラス世界大会2019 Bluecoats】
【不要不急のチェロアンサンブル】■うらばなし■
【ベビー・ポリスマン】■うらばなし■
【ホセ・ムヒカ 元ウルグアイ大統領】
【細田智也(入間市議会議員 )】あらゆる差別に立ち向かうジェンダー議員の細田智也氏
【ホフヌング音楽祭】<前半>■うらばなし■
【ホフヌング音楽祭】<後半>■うらばなし■

ま行
【マルタ・アルゲリッチ ピアノの魔女?】<シリーズ>■うらばなし■
チャイコフスキー「ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23」
ショパン「ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53〈英雄〉」
プロコフィエフ「ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26」
ショパン「ピアノソナタ第3番」
バッハ「奇想曲 BWV.826」
ラヴェル「水の戯れ」
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 作品15」
ラヴェル「ピアノ協奏曲 ト長調」
シューマン=リスト「献呈」
【三島由紀夫が「軍艦行進曲」を指揮】■うらばなし■
【美空ひばり】<シリーズ>
【美空ひばり 名曲メドレー】■うらばなし■
【美空ひばり 川の流れのように】
【美空ひばり 徹子の部屋】
【水俣病レポート】
みのや雅彦【百の言葉 千の想い】
【未来からくる演奏家を聴く会】<シリーズ>■うらばなし■
【宮島将郎・今のテレビに喝】<全11回>■うらばなし■

【宮島将郎コーラス三昧】■うらばなし■
寝れなーで

串カツもっと

まんがマンボ

携帯電話

【芽里女のカルメン】■うらばなし■
や行
【山本 準作品集】<シリーズ>■うらばなし■
【山本直純 追憶ドキュメンタリー】■うらばなし■
【Unity Dance Project】 Stay homeのダンサー達■うらばなし■
【吉村妃鞠】パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番-第1楽章

4人のチェリストと1台のチェロによる【チャルダッシュ】■うらばなし■

ら行
【ローマ法王は果たして原爆の残り火を吹き消すか?】
わ行
【私を責めないで あたたかく迎えて】
【渡辺茂夫 よみがえる天才ヴァイオリニスト】<シリーズ>■うらばなし■

パガニーニ【魔女たちの踊り】
サラサーテ【ツィゴイネルワイゼン】
サン=サーンス【序奏とロンド・カプリチオーソ】
バッハ【ヴァイオリン協奏曲 BWV 1042】
ファン・マネン【イベリア舞曲】
タルティーニ【コレルリの主題による変奏曲】
サラサーテ【ハバネラ】
グラズノフ【ヴァイオリン協奏曲】
フバイ【そよ風】
メンデルスゾーン【ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64】
ヴィエニャフスキ【スケルツォ・タランテラ】
ショパン【夜想曲第20番】
クライスラー【ウィーン奇想曲】
【ONE OK ROCK】
【和波孝禧 世界わが心の旅】■うらばなし■
【Wonderful World】- Sounds of Aloha Virtual Chorus project■うらばなし■

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

【山本直純 追憶ドキュメンタリー】
山本直純
1932年、東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。
幼児期から父山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。
自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。
指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。
同時期の同門に、小澤征爾、久山恵子、秋山和慶、飯守泰次郎、尾高忠明らがいる。
小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。お前は世界の頂点を目指せ」と山本から告げられたことがあった、と語っている。
1951年、東京芸術大学の入試に失敗し、父の弟子である渡辺浦人のもとに預けられて渡辺の仕事の手伝いをする。 一浪後、1952年に東京芸術大学作曲科に入学、池内友次郎に師事。
芸大では1学年上級の打楽器科学生岩城宏之と知り合って意気投合し、岩城とともに本物のオーケストラを指揮したい一念で、学生たちに声をかけまくって学生オケをつくり、岩城と交代で指揮をするようになる。
3年生終了後、指揮科へ転じ、渡邉曉雄に師事。
1958年、長男出生の年に大学を卒業。
指揮科卒業演奏の曲目はブラームス作曲「交響曲第1番」だった。
当初は山本も小澤らと同じように指揮者として世界で活躍することを夢見たこともあったようだが、大学指揮科在学中に眼を患い、視力の著しい低下や、弟や妹を養う必要もあり、大学在学中からテレビや映画の分野に積極的に進出し、ポピュラーからクラシックまで幅広く作曲活動を行うようになる。
同時に、テレビなどを通したクラシック音楽の普及・大衆化に力を注いだ。
中でも最も知られているのは、1973年から10年間放送されたTBSのテレビ番組「オーケストラがやって来た」の企画・音楽監督・総合司会者として、クラシック初心者でも楽しんでもらえるように、ユーモアを交えた解説を展開したことで知られる。 また、1983年に落成した大阪城ホールのこけら落としとして、当時・毎日放送常務取締役の斎藤守慶営業本部長(後に社長・会長を歴任)とともに「サントリー1万人の第九」を企画する。
当時・サントリーの佐治敬三社長の後押しもあり、83年スタート。
98年の第16回まで連続して構成・総監督・指揮を務めてきた。
このほか、NHKのFMラジオ公開収録番組「FMシンフォニー・コンサート」(番組そのものは2007年3月で一旦終了した後、2009年4月から再開して現在に至る)の指揮、司会なども務めていた。
1972年には小澤とともに新日本フィルハーモニー交響楽団を結成、指揮者団幹事となる。
1979年、1980年には2度にわたり、日本人として初めてボストン・ポップス・オーケストラを指揮している。
山本は人々の心に強く残る明快なメロディーを次々と生み出したが、いずれもシンプルでかつ基礎的技術の高さに裏打ちされている。
代表的な作品として、童謡『歌えバンバン』『一年生になったら』、『こぶたぬきつねこ』、TV番組『マグマ大使』、『8時だョ!全員集合』、NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』、『武田信玄」、映画「男はつらいよ」のテーマ曲ほか多数。
TBSラジオの人気長寿番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』のお囃子(劇中音楽)を担当し、テーマ曲と挿入曲を作曲したことでも知られる。
「男はつらいよ」シリーズでは、テーマソング・映画内の音楽を一貫して担当してきたが、第47作「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」以降の3作品は、長男の山本純ノ介と共同で音楽を担当した。
クラシック作品では、1974年ニューヨークでの国連デー・コンサートのための国連委嘱作品『天・地・人』のうち『人』を作曲、日本太鼓とオーケストラのためのこの作品は、小澤征爾の指揮で初演され圧倒的成功を収めた。
他には『和楽器とオーケストラのためのカプリチオ』、『シンフォック・バラード』などがある。
1975年12月31日放送の「ゆく年くる年」(全民放局同時放送・幹事局は日本テレビ)と1987年3月31日放送の「国鉄最後の日」の関連特番(日本テレビ)では蒸気機関車の汽笛の音を用いて演奏する「蛍の光」で指揮を務めた(後者では最後に蒸気機関車の汽笛の音にあわせて機関士一同が合唱を行なった)。
2回とも京都市にある梅小路機関区で行なわれた。
口ひげと黒縁メガネがトレードマークとして知られ、その自由奔放なキャラクターから、タレントとしての一面も備えていた。森永製菓「エールチョコレート」のCMソング『大きいことはいいことだ』、日本船舶振興会(当時)の『火の用心の歌』を手がけた際には、自らCMに出演したほか、NHKや民放の音楽番組やバラエティ番組にもゲストとして度々出演した。
音楽関係者の間では「日本の音楽普及に最も貢献したひとり」として高く評価されている。
だが一方で、生前は周囲とのトラブルや、1978年8月6日に起こした交通違反スキャンダルなどでのマイナスイメージもあり、生前はその多大な功績に比して世間から必ずしも高い評価を得られない一面もあった。
晩年はアマチュアオーケストラのジュニア・フィルハーモニック・オーケストラの指導にも特に力を注いだ。
岩城宏之とは無二の親友であった。
1999年には、妻の心臓発作を機にキリスト教(カトリック)に入信している。洗礼名はフランシスコといった。
こどもさんびか改訂版に「せかいのこどもは」(作曲)を残している。
1998年に鹿児島県南種子町で開催された「トンミーフェスティバル」において作曲を手がけたことが縁となり、楽譜をはじめとした資料、楽器、生活家具などが同町へ寄贈され、南種子町郷土館内に「山本直純音楽記念室」が開設された。
2002年6月18日、急性心不全のため死去。享年69歳。
番組へ

↑ PAGE TOP

【新山開/新山茜】
新山開
東京芸術大学付属音楽高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。
第20回かながわ音楽コンクール小学生の部最優秀賞、第62回全日本学生音楽コンクール高校の部全国大会2位、第12回日本演奏家コンクール高校の部第1位、第12回大阪国際音楽コンクールAge-G部門第3位、第27回市川市文化振興財団新人演奏家コンクール弦楽器部門優秀賞、NPO法人 芸術・文化 若い芽を育てる会 特別賞。
これまでに川上久雄氏、E.ペレーニ氏、清水高師氏に師事。ピエール・アモイヤル、ジェラール・プーレのマスタークラスを受講。 これまでに室内楽を江口玲氏、上森祥平氏に師事。
現在昭和音楽大学で合奏研究員、洗足学園音楽大学準演奏補助要員を務める。

新山茜
東京都立芸術高等学校、上野学園大学音楽学部音楽学科演奏家コースを経て、同音楽専攻科卒業。全額授業料免除特待生として入学。在学中特待生。
第4回フレッシュ横浜音楽コンクール銅賞。第24回市川市文化振興財団新人演奏家コンクールピアノ部門最優秀賞。第10回東京音楽コンクールピアノ部門入選。
第15回日本ピアノ調律師協会新人演奏会、第84回読売新人演奏会に出演。東京フィルハーモニー交響楽団(円光寺雅彦指揮)と共演。
V.コロボフ、F.セルメット、J=F.エッセール、J=J.バレーの各氏のマスタークラスを受講。植田克己、矢野裕子、大西真由子、横山幸雄、田部京子、川田健太郎の各氏に師事。
河口湖オルゴールの森にて演奏活動を行う。
上野学園大学伴奏要員。日本ショパン協会正会員。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会演奏会員。
番組へ

↑ PAGE TOP

【田谷力三を囲む歌芝居「芽里女のカルメン」】
『昔のテレビ局』の宮島プロデューサー(以下:わたし)が日本テレビに居る時に作った番組です。
当時わたしは若い演奏家を世に出す音楽番組「私の音楽会」を作っていましたが、ゲストに日本の音楽史に大きな足跡を残した浅草オペラの名テナー田谷力三さん(故人)を招いたのがこの番組で、銀座の博品館を2日借りた芝居です。
83歳の田谷さんに往年の声はありませんでしたが、客席には田谷さんの長年のファンが大勢つめかけ、田谷さんが高い声で歌い終わると声をかけ、まるで浅草オペラのような雰囲気でした。
歌芝居の物語は下町のバー芽里女で2組の男女の恋を中心に起こる、悲喜交々の出来事で、田谷さんをはじめとする登場人物はみんなが歌います。
歌わないのは、いつもカウンターで居眠りしてる石丸寛さん(指揮者・故人)だけで、時どき持ち上げるグラスで、バーの棚(紗幕)の後ろに居るバンドに合図を出します。
また、わたしは演出を有名な映画監督のマキノ雅弘さん(故人)に頼んだので、マキノさんが監督した映画「決闘高田の馬場」で阪東妻三郎(故人)が決闘場所の高田の馬場まで一心不乱に駆けつけ、敵の大群をばっさばっさと切り倒す名場面にカルメンの曲を伴奏に付けて場内で上映しました。
普段作っているオーケストラの番組とまるで違う内容なので、稽古から本番までの準備は大騒ぎでしたが、とても楽しい仕事でした。
面白いのはセリフの中に番組スポンサーの商品名が「◯◯の時はマンズワイン」のように入っていてお客さんが笑うことで、これは脚本を書いた、かむ・しのん(城悠輔・故人)さんお得意のジョークです。
画面に〈STEREO〉と出ているのも、テレビの音声が多重化された時代を偲ばせて懐かしいですね。
考えれば、こんな大掛かりで金がかかる芝居をやれたのは不思議ですが、プロデューサーが思いついたことを会社の金で何でもやれる良き時代ならではの出来事です。
最後に、名前は出しませんが、亡くなった出演者と関係者のみなさんに感謝と哀悼の気持ちを捧げます。
番組へ

↑ PAGE TOP

【和波孝禧 世界わが心の旅】
4歳からヴァイオリンを学び、数々のコンクールで受賞し、75歳で現役のヴァイオリニスト、和波孝禧(たかよし)さんは1998年に夫人のピアニスト、土屋美寧子さんと二人で、若き日に音楽を学んだイタリアを訪問し、亡き恩師の遺族や墓、音楽学校の教室などを訪ね、最後に母校の友人たちを招いてコンサートを開催しました。
番組はその旅の記録(NHK)です。
『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーは日本テレビ時代に作った「私の音楽会」に28歳の和波さんをゲストに招いた時からの知り合いで、この番組は土屋さんから映像を提供していただきました。

和波孝禧(たかよし)さんの経歴
1945年生まれ。
4歳からヴァイオリンを始め、辻吉之助、鷲見三郎、江藤俊哉に師事、1954年、9歳の時、第6回全日本盲学生音楽コンクールで第1位特賞を受賞。
1958年、中学校2年生の時、第12回全日本学生音楽コンクール全国大会中学生の部で第1位を受賞。
1962年、第31回日本音楽コンクールで第1位、特賞を受賞。
1963年、斎藤秀雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団のソリストとしてデビュー。
1965年、ロン・ティボー国際コンクールで第4位、1970年、カール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクールで第2位を受賞。
番組へ

↑ PAGE TOP

【カリキュラマシーン】
「カリキュラマシーン」は1970年代初頭に日本テレビから放送された幼児教育番組です。
「ゲバゲバ90分」のスタッフが番組作りのノウハウを活用して作りました。
「カリキュラマシーン」はアウトローな表現のギャグ番組ですが、その裏にはきちんとしたカリキュラムがあります。
生活綴方の文集「やまびこ学校」の著書や、ラジオ番組「全国こども電話相談室」の回答者として有名な、禅宗の僧侶で教育者の無着成恭さん(故人)が教頭だった明星学園の教科書がカリキュラムの下敷きです。
アウトローでもカリキュラムがあります。なんでも作ればいいという今のテレビ番組と根本的に違う点です。
・・・ カリキュラムは大まかに言えばこんな具合です。
⭐️国語
①物には名前がある。
②名前の音を音節に分ける。
③音節を書き表す平仮名の文字を教える。
⭐️算数
①物には数がある。
②一つの物に一つのタイルを置く。
③タイルを使って足し引きを教える。
⭐️全体
①森羅万象をストーリーに使う。
②通常の子ども番組にしない。
③作者が楽しい番組を作る。
④覚えにくいカリキュラムを歌にする。
このことを、ディレクターの中心だった齋藤太朗(たかお・ギニョ)さんが『昔のテレビ局』で話している番組「ギニョさんカリキュラマシーンを語る」と宮島(以下:わたし)が話している番組「宮島将郎・今のテレビに喝」を参考に見てください。
もうひとつ書かなければならないのは作曲家の宮川 泰(ひろし・故人)のことです。
宮川さんは希有の天才でした。
隔月に行われる録音では70曲(!)ぐらい収録するのですが、宮川さんはお茶の子さいさいでこなしました。
ある時、録音の最中にギニョさんが
「あれ、宮ちゃん、この曲はどうした?」と聞きました。
宮川さんは録音用の台本を1ページ飛ばして作曲していたのです。
すると宮川さんは、例のダミ声で
「えっ、あーごめんごめん、忘れてた、すぐ書くからちょっと待って!」と叫んで録音を中断し、指揮者用譜面台の上で作曲を始めました。
宮川さんがメロディーを口ずさみながら書いた譜面はスタジオの外で待機してる写譜屋さんに渡され、手早くパート譜になり、スタジオのプレーヤーたちに配られ、録音が再開しました。
驚いたことに、出来上がったのは名曲でした。
また、宮川さんには引き出しが沢山あり、作家やディレクターが◯◯風の曲という注文を出すと、見事にそれ風の曲を書きました。
ある時宮川さんにはわたしに
「ねえ宮島ちゃん、人の音楽をパクッて裁判沙汰になる奴がいるだろう?あんなのは馬鹿だよ。過去の大作曲家の作品にはパクれる要素が沢山あるんだから」と言いました。
わたしはその言葉を教訓にしてアマチュア冗談音楽家をしてます。
あんな天才が亡くなったのは残念でなりません。
閑話休題。
子供の頃に見た「カリキュラマシーン」が忘れられない50代半ばの人が集まっている「カリキュラマシーン研究会」(あなたも来ませんか?)で話題になるのは、あんな過激な番組がどうして放送できたのかです。
どんなに過激かの例を挙げましょう。
カリキュラムは引き算の「10-4=6」です。
SEは効果音、Nはナレーションです。
・・・・・・
SE 陰鬱なメロディー
 土手の上に10人の死刑囚が並んでいる。
N 土手の上に死刑囚が10人
 機関銃で4人が射殺され、バタバタと倒れる。
SE 射撃音
N 射殺された死刑囚が4人、残った死刑囚は何人?
 黒い画面に白いタイルが10個現れる。
N タイルが10、10から4を引くと(4個のタイルが動き画面から去る)残りは6、10引く4は6、残った死刑囚は6人。
 残った4人の死刑囚が歓喜の声を上げ、隠し持った酒で乾杯する。
・・・・・・
こんなシーンは今のテレビでは絶対に放送できませんが、見た子供たちの脳裏に焼き付いたのです。
あまりにも過激なので放送中に視聴者から抗議の電話がかかって来ましたが、ディレクターや作家にはまったく知らされませんでした。
仁科俊介プロデューサーがブロックしたのです。
仁科さんがわたしに個人的に言ったクレームは、股間にけん玉の玉がぶら下がってる画面に「またのたま、したから読んでもまたのたま」というナレーションが流れるシーンを好きじゃないという一回だけです。
こういうプロデューサーが居るといいですね。
さて、死に物狂いで番組を作っている時、ディレクターは番組が将来どんな評価をされるか、まったく気にしていません。
それなのにディレクターだったわたしが仕事先での雑談で「カリキュラマシーン」の話をすると尊敬されるのはディレクター冥利に尽きます。
こうやって番組のうらばなしを書くのも楽しさの極みです。
さあ、お楽しみください。
番組へ

↑ PAGE TOP

【マルタ・アルゲリッチ ピアノの魔女?】<シリーズ>
ピアノの音楽が好きな人でマルタ・アルゲリッチの凄さを知らない人はいません。
長い髪を振り乱しながら難曲をやすやすと弾きこなす様子は魔女のようです。
これから何回かにわたって、スタッフがYoutubeで見つけたアルゲリッチの演奏を紹介します。
お楽しみに。
マルタ・アルゲリッチ プロフィール
チャイコフスキー「ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23」番組へ
ショパン「ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53〈英雄〉」番組へ
プロコフィエフ「ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26」番組へ
ショパン「ピアノソナタ第3番」番組へ
バッハ「奇想曲 BWV.826」番組へ
ラヴェル「水の戯れ」番組へ
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 作品15」番組へ
ラヴェル「ピアノ協奏曲ト長調」番組へ
シューマン=リスト「献呈」番組へ

↑ PAGE TOP

【中森明菜「~夢~'91 AKINA NAKAMORI Special Live」】
『昔のテレビ局』の宮島プロデューサー(以下:わたし)は日本テレビ音楽(株)で中森明菜がデビューするのを手伝ったことがあります。
大ヒットしたオーディション番組「スター誕生」から芸能界にデビューする若者たちの一人が中森明菜だったのです。
「スター誕生」では本番が終わった直後に、本人と家族、手を上げた芸能プロダクション、レコード会社、番組プロデューサー、日本テレビ音楽の担当者が参加して〈引き渡し会議〉が開かれるのです。
普段はシャンシャン会議なのが、中森明菜の〈引き渡し式〉の時には奇妙なことが起きました。
会議が始まって間もなく明菜がシクシク泣き始めたのです。
みんなが驚いてどうしたのか聞いても明菜は泣き止みません。
お母さんが聞いてもダメです。
とうとうお手上げになりその日は解散しました。
数日後にプロダクションから電話がありました。
明菜が泣いたのは、デビューしてから夏に水着で写真を撮ると、足のアザが見えるのが恥ずかしいという可愛らしい理由からでした。 そんな傷つきやすい性格が裏目に出て悲しい出来事につながったのかもしれません。
明菜は本当に歌うのが大好きで、歌謡ショーでは自分の出番のずっと前にステージの袖に来て、ほかの歌手が歌うのに合わせて歌うほどでした。
わたしはデビューしたあとの明菜と親しくしたことはありませんが、最近の状況は残念でなりません。
明菜の復活を期待します。
番組へ

↑ PAGE TOP

【美空ひばり 名曲メドレー】
『昔のテレビ局』の宮島プロデューサー(以下:わたし)は昭和37年に日本テレビに入社した直後に「美空ひばりショー」〈ニッケ提供)のAD(アシスタント・ディレクター)になりました。
ディレクターは慶應大学の先輩、三宅八弥さん(故人)でした。
ところが不思議なことにインターネットで調べてもこの番組の記録がありません。
でも、番組をやっている間にひばりちゃん(わたしは同い年だったこともあり、ひばりさんでなくひばりちゃんと呼んでいました)が小林旭さんと結婚したので、実在の番組だったことは確かです。(笑)
番組は、長さは30分ですが、司会をひばりちゃんがやるワンマン形式だったので、司会が居る番組よりも多くの歌が入りました。
ひばりちゃんとわたしのエピソードを書きます。
番組では毎回、ひばりちゃんのレパートリーでない曲があり、楽譜が読めないひばりちゃんに、バックのオーケストラのアレンジャーがスタジオで歌唱指導をするのが常でしたが、ある日アレンジャーが急に来られなくなり、わたしピアノを弾きながらひばりちゃんに「浜辺の歌」を教えていました。
すると突然ひばりちゃんがわたしを「先生」と呼んだのです。
わたしは驚きましたが、もっと驚いたのは三宅さんで、あっという間に局内に〈天下のひばりがブーデ(ひっくり返すとデーブ、つまり太っていたわたしのあだ名)を先生と呼んだ〉話が広まりました。(笑)
でも、歌唱指導から数日後の本番で、ひばりちゃんは暗譜して、ひばり流に歌うのには、いつも舌を巻きました。まさに天才です。
もう一つのエピソードは、ある日アレンジャーが歌唱指導指導をしてる時、わたしは副調整室(サブコンダクタールーム)でひばりちゃんの有名なお母さんの喜美枝さんと一緒にそれを聴いていました。
聴いた曲をすぐに覚えるわたしがメロディーを口ずさむと喜美枝さんは驚いて「宮島さんも天才なんですねえ」と言いました。
このことも局内ですぐに知れ渡ったことは言うまでもありません。(笑)
そんな状況でしたが、ある日、三宅さんから突然ディレクターを一本やれと命令されました。
入社してから日が浅く、一度もディレクターをやったことがありませんが、面白いと思って引き受けました。
わたしは人と同じことをやりたくないので、番組のレギュラーだった日本舞踊の猿若清方さんに相談すると、猿若さんはとても良いアイディアをくれました。
それは歌をメドレーに繋ぎ、歌詞の内容に応じて画面が変化するというものです。
最初、画面にリンゴの実が一つぶら下がっていて、手が伸びてもぎろうとすると、実は手をそれて地面に落ちて転がり、それを拾ったひばりちゃんが「りんご追分」を歌い始め、曲が終わると次の仕掛けが始まります。
こんな番組でしたが、テレビ番組批評家の志賀信夫さんの目にとまり、こんな番組を作ったのは誰だという批評が書かれました。
ひばりちゃんは53歳で亡くなりましたが、生きていれば『昔のテレビ局』で番組を作りたいと思います。
●番組の収録曲
01.九段の母(1939)
02.東京ブギウギ(1947)
03.憧れのハワイ航路(1948)
04.星の流れに(1947)
05.勘太郎月夜唄(1943)
06.河童ブギウギ(1949)
07.悲しき口笛(1949)
08.東京キッド(1950)
09.越後獅子の唄(1950)
10.リンゴ追分(1952)
11.素敵なランデブー(1955)
12.港町十三番地(1957)
13.遊俠接道(1964)
14.哀愁波止場(1960)
15.ひばりの佐渡情話(1962)
16.おふくろさん(1971)
17.ひばり仁義(1972)
18.女の花道(1964)
19.柔(1964)
20.藝道一代(1967)
21.真赤な太陽(1967)
22.やくざ若衆祭り(1956)
23.相馬盆唄
24.かもめと女
25.ある女の詩(1972)
26.ひばりのマドロスさん(1951)
27.ひばりの渡り鳥だよ(1961)
28.ひばりの花売娘(1951)
29.花笠道中(1958)
30.あの丘越えて(1951)
31.歌は我が命(1976)
32.兄弟仁義(1965)
33.港町十三番地(1957)
34.悲しい酒(1966)
35.愛燦燦(1986)
36.唄入り觀音經
37.白虎隊(1937)
38.テネシー。ワルツ
39.お祭りマンボ(1952)
40.出船(1928)
41.車屋さん(1961)
42.浪曲子守唄(1963)
43.しのぶ(1985)
44.悲しき口笛(1949)
45.人生一路(1970)
番組へ

↑ PAGE TOP

【安藤 開 昭和の歌姫メドレー】
安藤開(あんどう かい) プロフィール
1961年福岡県生 59歳
小学校5年生の放送委員・・・放送室でビートルズの「レット・イット・ビー」の見開きのアルバムの中にジョン・レノンとオノ・ヨーコが大きなコンソールの前にいる写真を発見・・・放送室にあるこれより(調整機械)でかいつまみだらけの1枚の写真が人生を決めた! 録音技師(ミキサー)にあこがれを抱き高校卒業後レコーディングエンジニアを目指し東京の音響の専門学校へ・・・そしてスタジオへ就職。涙と感動の修行アシスタント時代を経てレコーディングエンジニアへ・・・1992年東洋一と言われるソニーミュージックスタジオ録音部を経て他スタジオを立ち上げエンジニア活動。又、専門学校、ミュージックスクール講師として東京コミュニケーションアート専門学校、ワタナベエンターテインメントカレッジ、東京スクールオブミュージック、、、現在は東放学園音響専門学校で講議し、又、中学生時にハマったフォークソング(井上陽水、吉田拓郎、かぐや姫)の記憶をたどり、50歳を過ぎギターを手にとり弾き語り歌手をスタートしている。
現在60前・・・まだ夢の途中・・・
番組へ

↑ PAGE TOP

【三島由紀夫が「軍艦行進曲」を指揮】
『昔のテレビ局』の宮島将郎プロデューサーが日本テレビで作った「だんいくまポップスコンサート」です。
この番組は團伊玖磨と宮島が三島を口説いて実現しました。
日本テレビは今でもこの映像をニュースなどで使っています。
番組へ

↑ PAGE TOP

【クリストファー遙盟 尺八の世界】<シリーズ>
『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーはクリストファーさんと旧知の間柄で、アメリカ人のプロ尺八演奏家を紹介する番組を企画して、現在はハワイに住んでいるクリストファーさんにメールで提案したところ
「『昔のテレビ局』はとても面白いロジェクトですね。ザッと見たら、特に意味深かかったのはブダペストで日本語教育をしている林敏夫さんでした。時間が許す限り、彼のシリーズ全部を見てみたいと思います。
僕は8年前、ブダペストの国際交流基金のお招きで尺八演奏とレクチャーをやりましたが、その時に林さんとお会いしなかったと思います。
さて、本題ですが、僕は喜んでこの番組プロジェクトに参加させてもらいます。」(日本語が達者!)というメールとともに参加してくれることになりました。
クリストファー遙盟プロフィール
クリストファー遙盟のインタビュー番組へ
地歌「ままの川」番組へ
「琉球ロンド」番組へ
「ささがにの」番組へ
地歌「酒」(笹の露)番組へ
明暗流古典尺八本曲「虚鈴」番組へ
琴古流古典本曲「下り葉の曲 」番組へ

↑ PAGE TOP

【宮島将郎コーラス三昧】<シリーズ>
『昔のテレビ局』の宮島将郎プロデューサーは自称〈冗談音楽家〉です。
宮島は中学生の頃から独学で作曲を始め、大学2年の時に〈街のコーラスコンテスト〉で優勝して日本劇場の〈コーラスパレード〉に出演しました。
それを中継録画しに来た日本テレビの齋藤太朗ディレクターに刺激されて日本テレビに入社し、読売日本交響楽団の番組や幼児教育番組〈カリキュラマシーン〉を担当しました。
仕事の傍らアマチュアコーラスの〈アリババと15人の盗賊〉を主宰して数多くの曲を作詞・作曲・編曲しましたが、お客さんにとても喜ばれたのは冗談音楽でした。
〈宮島将郎コーラス三昧〉シリーズでは漫画家の真鍋優子さんが描くウイットとユーモアに富んだ絵と〈アリババと15人の盗賊〉の演奏を組み合わせています。
真鍋さんは宮島が郊外電車の特急で隣り合わせに座った時に宮島がずうずうしく話しかけて知り合った人です。
シリーズ
「寝れなーで」シューベルト作曲「セレナーデ」の替え歌番組へ
「串カツもっと」ネッケ作曲「クシコスポスト」の替え歌番組へ
「まんがマンボ」オリジナル作品番組へ
「携帯電話」オリジナル作品番組へ
「桶屋の新ちゃん」オリジナル作品
「燃え尽き行進曲」ヨハン・シュトラウス作曲「ラデツキー行進曲」の替え歌
「交響曲70歳」モーツァルト作曲・交響曲第40番の替え歌
「バブルバブルブー」オリジナル作品

↑ PAGE TOP

【渡辺茂夫 よみがえる天才ヴァイオリニスト】<シリーズ>
渡辺茂夫は7歳でコンサートを開き、アメリカでモーツァルトの再来と言われ、日本とアメリカのクラシック音楽界に華やかな足跡を残しながら、16歳で音楽界から離れ、58歳で病死するという、数奇の運命を辿った天才ヴァイオリニスト・作曲家です。
渡辺茂夫プロフィール
パガニーニ【魔女たちの踊り】番組へ
サラサーテ【ツィゴイネルワイゼン】番組へ
サン=サーンス【序奏とロンド・カプリチオーソ】番組へ
バッハ【ヴァイオリン協奏曲 BWV 1042】番組へ
ファン・マネン【イベリア舞曲】番組へ
タルティーニ【コレルリの主題による変奏曲】番組へ
サラサーテ【ハバネラ】番組へ
グラズノフ【ヴァイオリン協奏曲】番組へ
フバイ【そよ風】番組へ
メンデルスゾーン【ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64】番組へ
ヴィエニャフスキ【スケルツォ・タランテラ】番組へ
ショパン【夜想曲第20番】番組へ
クライスラー【ウィーン奇想曲】番組へ

↑ PAGE TOP

【日本一短い「母」への手紙】
この番組は福井県丸亀町が募集した「母」への手紙を、降旗亜矢子さんと藤村紀子さんの朗読と、川田恭子さんの絵で構成したものです。
誰にもある「母」の思い出、「母」への思いをつづった手紙は大きな話題となりました。
番組を繰り返し見て、2回目からは目をつぶって聴いてください。
あなたのお母さんへの思いが募ってくるはずです。
番組へ

↑ PAGE TOP

【茶道】<シリーズ>
3回にわたり林敏夫さんが茶道について語ります。
1回目〈茶道の概要〉
話は街の喧騒の中で自然の静けさを感じることから〈山居〉と呼ばれる茶室を案内する形で進みます。
2回目〈茶道の精神〉
茶道の精神である〈和、敬、凊、寂〉の説明から始まり、〈利休七則〉、〈一期一会〉、不完全な物の価値を見出す〈わび、さび〉へと話は広がります。
3回目〈茶道の歴史〉
7~8世紀、中国からの茶飲の習慣、茶の文化の伝来から始まり、鎌倉、室町、安土桃山時代の抹茶を点(た)てる飲みかた、江戸時代の茶葉を煎じる方法の伝来流行、さらに現代に至るまでの茶道の歴史を解説します。
番組へ

↑ PAGE TOP

【Aqua Fantasy ~神秘な生き物~】
撮影:望月ヨシコ
企画・制作:山本伸三
山形県鶴岡市立 加茂水族館
穏やかな音楽をバックに水族館のクラゲたちの写真で構成された、幻想的で、心が癒される作品です。
撮影場所の加茂水族館のクラゲは50種類以上いて、種類の多さで2012年(平成24年)にギネス世界記録に認定されました。
写真を撮影した望月さんは宮島プロデューサーが親しい写真家、廣澤章光さんが開いている教室の生徒さんです。
編集した山本伸三さんはNHK の技術部門の OB で、静止画のクラゲが動いているように見える、さすがの手並みです。さあ、音楽が聞こえてきました。
番組へ

↑ PAGE TOP

【Home (from Home) 】 The Jerusalem Youth Chorus
イスラエルにエルサレム・ユース・コーラス(JYC)というイスラエルとパレスチナの高校生たちが参加して、音楽活動で民族融和と世界平和をめざす、夢と理想の合唱団があります。
『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーはこの合唱団を2014年に日本に招聘しました。
長い間、殺し合いをしてきた二つの民族の若者たちが一緒に歌う姿は聴衆に大きな感動を与え、多くのメディアが奇跡の合唱団として記事にとりあげました。
そのエルサレム・ユース・コーラス(JYC)がパンデミックの中、彼らの持ち歌【Home】をリモートで合奏する映像が指揮者マイカ・ヘンドラーからのメッセージとともに届きました。
------------------------
日本のすべての友達のみなさま、エルサレムと世界中の仲間からの愛をお届けします。私たちの家から、皆さんのおうちに向かって、ご健康とパンデミックとの闘いの連帯を祈ります。私たちのメンバーのアリスがビデオで言ってますように、「どうかご安全に過ごされますよう、みんな仲間ですから。」エルサレム・ユースコーラスが日本のコンサートホールに帰ってくる日まで!
番組へ

↑ PAGE TOP

【Home】(Phillip Phillips) - Sam Tsui & The YMCA Jerusalem Youth Chorus
長年、敵対しているイスラエルとパレスチナの若者たちが参加している〈平和〉の合唱団、エルサレム・ユース・コーラスがアメリカのポピュラーソング「Home」を歌います。 コロナ騒動の中で家(Home)の大切さを見直そうというメッセージです。
番組へ

↑ PAGE TOP

【We Wish You...】 The Jerusalem Youth Chorus
私たちの合唱に多くの信仰の歌手がいると、物事が複雑になることがあります。 しかし、それはまた私たちに祝うためのより多くを与えます。 ハヌカと預言者モハメッドの誕生日を振り返り、クリスマスと新年を楽しみにして、レジリエンスを祝います。 私たちは、対立だけでなく、今では距離を超えてつながるという歌手の決意を祝います。 私たちは、まったく新しい方法で、彼ら自身の声を前面に出すことで彼らの創造性を祝います。 そして、私たちはあなたとの関係を祝います。これらの若い歌手が彼らの力を実現し、それにもかかわらず、世界がそれ自体の最高のバージョンになるように刺激することができるスペースを育て続けることを可能にする関係です。
番組へ

↑ PAGE TOP

【アマルそれは希望】
この作品は若い商社マンの島健志郎が出張先の中東で巻き込まれた、イスラエルとパレスチナの紛争にからむ事件の物語です。
事件の中で健志郎は不思議な女性、アマルに出会い、恋に落ちます。やがて事件の舞台はアメリカにまで広がり、波乱万丈の出来事の中で健志郎は銃弾を浴びて死にますが、アマルのお腹の中には健志郎の子どもが宿っています。
・・・というこの作品は宮島プロデューサーの友人、伊勢谷宣仁さんが作り、作曲家の伊勢谷さんは物語を文字と音楽で構成しました。
番組へ

↑ PAGE TOP

【おうちで室内楽】
演奏:三原未紗子さん・大崎由貴さん
チャイコフスキー【くるみ割り人形組曲】より《小序曲》
チャイコフスキー【くるみわり人形組曲】より《行進曲》
チャイコフスキー【くるみわり人形組曲】より《こんぺいとうの踊り》
チャイコフスキー【くるみわり人形組曲】より《トレパーク》
チャイコフスキー【くるみわり人形組曲】より《アラビアの踊り》
チャイコフスキー【くるみわり人形組曲】より《中国の踊り》
チャイコフスキー【くるみわり人形組曲】より《葦笛の踊り》
チャイコフスキー【くるみわり人形組曲】より《花のワルツ》
コロナ感染防止のために、離れた場所で合奏するのは大変だと思いますが、楽しさの溢れる演奏です。

↑ PAGE TOP

【感染しないピアノデュオ】
演奏:久保山菜摘・原嶋 唯
Mozart sonata for 2 pianos Kv.448 1st movement
Rachmaninoff Suite No.2 Op.17 4th mov.Tarantella
ソフトウェアを使ってネット経由で合奏している久保山さんと原嶋さんはピアニスト練木繁夫さんの愛弟子で、宮島プロデューサーは三人と親しい間柄です。

↑ PAGE TOP

【運命密売人】
この曲は、なかにし礼が作詞作曲して、田代美代子が歌いました。
番組で歌っている夏川 玲さんは『昔のテレビ局』の発起人の一人で、面白い歌を探していた宮島プロデューサーにこの曲を推薦してくれました。
・・・・・・
街角の怪しげなタロット占い師が不幸せなお嬢さんの運命を占います。
占い師は次から次へとお嬢さんの新しい人生を告げて、お嬢さんはとても喜びます。
しかし・・・
結末はどうなるでしょうか?
番組へ

↑ PAGE TOP

【近代日本の映像】
この番組には10本の映像がありますが、全体で一つの番組を構成しているのでなく、寄せ集めの映像集です。
それを『昔のテレビ局』が公開するのは、今では誰でも手持ちのカメラや携帯電話で音付きのカラー映像が撮れる日本でも、昔はカラーどころか、白黒でさえ撮影するカメラが珍しく、そんな中で撮影された映像をみなさんに見ていただくためです。
中にはナレーションが入っていない映像もあります。
しかし、戦争を体験した人たちが見ると、いろいろなことを思い出すに違いありません。
若い人たちには過去の日本を知る良い機会になるはずです。
番組へ

↑ PAGE TOP

【コロナに負けるな!】
陸上自衛隊中部方面音楽隊「友~旅立ちの時~(鶫真衣)」
この映像はスタッフがYoutubeで発見して、ソロを歌っている鶫(つぐみ)真衣さんの声がとても綺麗なのに感動し、音楽隊広報部と交渉して公開が決まったものです。
いつも大規模災害の救援で活躍する自衛隊がコロナで苦しんでいる人を励ますのは素晴らしいことです。自衛隊さん、ありがとう!
陸上自衛隊中部方面音楽隊「いのちの歌(鶫真衣)」
陸上自衛隊の歌姫、鶫真衣(つぐみまい)さんがコロナで苦しんでいる人たち、コロナと戦っている人たちのため、音楽隊をバックに、竹内まりやの「いのちの歌」を歌います。
陸上自衛隊中部方面音楽隊「威風堂々 友~旅立ちの時~(鶫真衣)」
イギリスの作曲家エドワード・エルガーの行進曲「威風堂々」にソロを歌う鶫真衣(つぐみまい)さんが歌詞を付けました。
鶫さんの、豊かな自然を守る決意を込めた歌詞、そして素晴らしい声に感動します。
もう一つ感心するのは屋外での演奏なのにアンサンブルがとても良いことです。
後半には隊員たちの野外訓練の映像に重ねて、国を守る決意の字幕が挿入されます。
この番組を見ると、誰でも自衛隊が好きになるに違いありません。
陸上自衛隊中部方面音楽隊「栄冠は君に輝く(鶫真衣)」
高校球児達の最大の目標、最高の舞台である夏の甲子園大会もコロナの影響で中止になりました。球児たちだけでなく高校野球ファン、ファンだけでなく多くの人たちが本当にがっかりしました。
陸上自衛隊中部方面音楽隊と鶫真衣さんの歌声が少しでも希望を与えてくれることを信じます。

↑ PAGE TOP

リモート30重奏【情熱大陸】
自粛でレッスンができない生徒たちとリモートワークで「情熱大陸」の大合奏!!!
マリンバ奏者嶋崎雄斗さんと音楽室生徒の皆さん、楽しそうだね!
番組へ

↑ PAGE TOP

【三密の恋】
Youtubeで見つけて来たのは演歌でした。
「三密の恋」では美しい女が、愛しい男との肌を触れ合う恋がコロナに妨げられる悲しさを切々と歌います。
番組へ

↑ PAGE TOP

【音楽朗読劇「戦場と、恋文」】
2018年8月、嶋崎靖さんの書き下ろしで、拙著「戦地で生きる支えとなった115通の恋文」が、音楽朗読劇「戦場と、恋文」となりました。
そのときのものが「昔のテレビ局」で完全放映。
出演   原洋子
     和田光沙
     久良賀野喜一
     嶋崎雄斗(マリンバ奏者)
作・演出 嶋崎靖
番組へ

↑ PAGE TOP

【高橋てつやバンド「わすれもの」】
未来を担う若者たちが思いの丈をぶつける〈高橋てつやバンド〉を聴いてください。
このバンドは『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーが家の近所のミュージックカフェSOSO(ソーソー)で発見しました。
宮島は店の最長老の客ですが、テレビの昔話をして若者たちを煙にまいています。(笑)
『昔のテレビ局』はコロナで仕事が無くなった若いミュージシャンを応援します。
番組へ

↑ PAGE TOP

【高橋てつやバンド「人間の交差点」】
数年前に福島の仮設住宅の広場で歌った曲です。
入間SOSOで出会った方々のことを歌にしました。
キャンドルジュンさんを中心に活動を続けるLOVE FOR NIPPONが毎月11日におこなっている福島県での現地活動”ロード”に参加させていただきました。
今回は、福島県いわき市にある楢葉町のみなさんが暮らす仮設住宅にお邪魔しました。
キャンドルナイトの最後に唄った「人間の交差点」です。
番組へ

↑ PAGE TOP

【バルコニーから「誰も寝てはならぬ」】
これは去る3月15日、イタリア・トスカーナ州フィレンツェの自宅バルコニーで、オペラ「トゥーランドット」のアリア「誰も寝てはならぬ」を歌うテノール歌手マウリツィオ・マルキーニさんの映像です。
ロックダウンで外出できずにいる周囲の人びとを勇気づけるために歌っているのですが、その声の素晴らしさに圧倒されます。マルキーニさん自身もコロナで仕事がなくなり、これからの人生について悩んでいるので、「誰も寝てはならぬ」と自分をも励ましているのです。歌の途中で子どもを抱き上げるのが印象的です。
番組へ

↑ PAGE TOP

【小さいマスク見つけた】
愉快な替え歌です。
中田喜直の名曲「小さい秋見つけた」をもじった「小さいマスク見つけた」。アベノマスクにひっかけた皮肉な歌詞が笑えること必至です。
番組へ

↑ PAGE TOP

【ビギン ザ ビギン】エレノア・パウエル&フレッド・アステア
映画「踊るニューヨーク」でエレノア・パウエルとフレッド・アステアが魅せた「ビギン ザ ビギン」。軽快なビギンのメロディーに乗って踊る二人が、色気たっぷりに見せる、息の合ったタップとダンスの素晴らしさにはため息が出ます。
大東亜戦争が終わってからやって来た進駐軍は、軍歌と大本営発表しか聴くものが無かった焼け野原の日本に、底抜けに明るいアメリカの文化を持ち込み、若者たち、いえ全ての日本人を熱狂させました。
その一つがダンスで、日本各地のダンスホールには大勢の男女が集まり、ダンスを楽しみました。大学でもダンパと呼ばれるダンスパーティーが開かれ、そこで知り合った男女の学生が恋に落ちたものです。
エレノア・パウエルとフレッド・アステアが踊る「ビギン ザ ビギン」を見て、あの頃を思い出してください。
番組へ

↑ PAGE TOP

【Foot Piano?】
巨大な足踏みピアノの演奏です。
一人の女性と二人の男性が鍵盤の上でタップダンスのように踊ると、軽快な音楽が街の広場に流れ、聴いている人たちが手拍子で支えます。
残念ながら、演奏してる場所もメンバーの名前もわかりません。
わかるのは一曲目の「ボラーレ」という曲名だけです。
さあ、セクシーな女性とハンサムな男性のトリオの演奏(ダンス?)を存分にお楽しみください。
番組へ

↑ PAGE TOP

【不要不急のチェロコンサート】〜仕事のないウィーンフィル〜
名高いウィーンフィルもコロナ騒動で仕事が無くなり、4人のチェロ奏者が一台の楽器でラヴェルの〈ボレロ〉を演奏して遊んでいます。 演奏者はヘルデンボルク直樹とウィーンフィル チェロアンサンブルです。
4人がそれぞれの弓を使って弾くのですが、見ていても、誰がどこを弾いてるのか、まるで判りません。これを合奏と呼ぶか、重奏と呼ぶか、考えた末、変?奏(笑)と呼ぶことにしました。
この映像は宮島プロデューサーの長年の友人で、草津音楽祭のプロデューサーをしている井阪紘さんが宮島にネット経由で見せてくれたのが面白かったので、番組に使わせてほしいと頼んで手に入れました。
番組へ

↑ PAGE TOP

【山本 準作品集】
山本 準さんは熟年のビジネスマンから作曲家に転向しました。
過去の戦争を考察する硬派の曲から、「永遠の河-再会」「Voz Suave (甘いささやき)」「昔とおなじように」「幻想のパリ」といった、題名からもわかるロマンティックな曲も書いています。その他に「小喜遊曲~笛子と揚琴のための」「百鬼夜行~和洋楽器6重奏のための」「〈神はわがやぐら〉によるパラフレーズ~30本の金管とオルガンのための」「銀朱の風」「ポツダム宣言」「浦賀から真珠湾へ」全10曲。
視聴者のみなさんから山本さんの経歴の問い合わせも多く経歴ページを作りました。
番組へ

↑ PAGE TOP

Stay Home【Unity Dance Project】
新型コロナ自粛で表現の場がなくなり、教えていたダンス教室も閉鎖になり、在宅を余儀なくされている若いダンサー達の連続テレダンスです。
映像をアクションで繋いでいます。
番組へ

↑ PAGE TOP

【Wonderful World - Sounds of Aloha Virtual Chorus project】
はハワイのバーバーショップ・コーラスがテレ・コーラスで作った番組です。
「(コロナが居ても)この世界は素敵だよ」と歌います。
番組へ

↑ PAGE TOP

<特集>
【イマジン プロジェクト】
コロナに感染して苦しんでいる人、収入が無くなり困っている人、感染した病人を救うために働いている医療従事者を慰め、応援するための番組です。
出演するのは長年、クラシック音楽の仕事をしてきた『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーが知り合った演奏家たちで、彼ら自身もコロナで仕事が無くなり困っています。
「イマジン」は他人の苦しみを想像して、手を差し伸べようという、ビートルズの名曲に因んだ番組名です。
演奏家たちの熱いメッセージを添えた演奏をお聴きください。
番組へ

↑ PAGE TOP

<平和の歌声>
【エルサレム・ユース・コーラス 日本公演】
このコーラスはイスラエルのエルサレムに本拠を置き、イスラエルとパレスチナの高校生が参加しています。長年敵対する両国の若者たちが、音楽活動により民族融和と世界平和の実現をめざす、夢と理想の合唱団です。
この合唱団を設立したイスラエル系アメリカ人のマイカ・ヘンドラー君は2011年にエール大学合唱団Whiffenpoofsのメンバーとして来日した時に、日本公演の主催者である宮島将郎(現『昔のテレビ局』プロデューサー)と知り合いました。
マイカ君はエール大学で音楽と国際関係論を学び、イスラエルで複数民族の合唱団を結成する計画を話し、宮島は賛成しました。その計画が実現して、エルサレム・ユース・コーラスが2014年に来日した時のコンサートを収録したのがこの番組です。
エルサレム・ユース・コーラスは東京と京都でコンサートを開き、合唱団の由来を知る聴衆は涙を浮かべながら演奏を聴き、万来の拍手を贈りました。
エルサレム・ユース・コーラスの来日は毎日新聞を初めとする新聞各社、NHK、日本テレビ、TBSのニュースで流れました。宮島とマイカ君は2021年の来日を計画しています。
(お詫び)申し訳ありませんが、コンサート会場には遠い客席の天井から吊るしたカメラの映像しか残ってなく、画質が悪く出演者のアップも見られません。
画面はあまり気にせず、彼らの歌声を聴いてください。
番組へ

↑ PAGE TOP

<テレビ番組>
「海を越えた歌声」~徳島少年少女合唱団~
四国放送 昭和54年8月8日放送
その年の春、ヨーロッパのコンクールに出場した徳島少年少女合唱団の報告記念番組で、『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーが当時勤務していた日本テレビで作りました。
番組で演奏されるのはコンクールで演奏した合唱曲を中心に、演奏旅行のエピソードをメンバーから集めて放送作家の城悠輔さん(故人)が歌詞を作り、「おもちゃのチャチャチャ」の作曲家、越部信義さん(故人)が歌にしたソロ曲です。
番組の最初に出てきて、合唱団をバックに演説するのは元時代劇役者で四国放送の局長だった村崎孝彦さん(故人)です。 ケネディーの就任演説が同じようにコーラスを付けてアメリカでヒットしたのを真似た演出です。
音楽監督で指揮者の上田収穂さんは、日本で合唱はピアノ伴奏付きが定番だった中で無伴奏(ア・カペラ)の合唱を始め、世界各地への演奏旅行を行いました。
番組では徳島少年少女合唱団のア・カペラ合唱の素晴らしさと、エピソードの面白さを堪能してください。
番組へ

↑ PAGE TOP

<音楽>
「未来からくる演奏家を聴く会」<シリーズ>・・・『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーは、若い頃、日本テレビで数多くのクラシック音楽番組を作りました。
その中のひとつ「私の音楽会」は若い無名の演奏家を世に出す番組で、出演した演奏家たちは今、クラシック音楽界の重鎮として活躍していますが、その筆頭がピアニストの内田光子さんです。
『昔のテレビ局』の番組は宮島が過去20年間、主催している「未来からくる演奏家を聴く会」を録画したものですが、この会は若い演奏家にリサイタルを開く機会をボランティアで提供していて、張り切った演奏家がミスを恐れず演奏するのがお客さんの楽しみになっています。 既に15本の番組があるので、ゆっくりしたペースで見てください。
番組では日本テレビのトップ・ディレクターとして名を馳せた棚次隆ディレクターのシャープなカメラワークが見ものです。
さあ、若い演奏家たちの、階段から足を踏み外しそうな熱演をお楽しみください。
番組へ

↑ PAGE TOP

〈ファンタスティック100連弾シリーズ>A&K生田姉妹デュオ
演奏する生田敦子さんと恵子さんの姉妹は宮島プロデューサーが長年、主催している「未来からくる演奏家を聴く会」の幻の出演者です。というのは、予定していたコンサートが本番直前に病気のためキャンセルされたからです。
ところが今年に入ってから宮島が出演を打診したところ、なんと連弾を100曲、連続してするという壮大な計画を立てていることがわかり、それなら『昔のテレビ局』の番組にしようという話がまとまりました。
クラシックの名曲からいまのヒット曲まで、いろいろなジャンルの曲が登場します。
番組へ

↑ PAGE TOP

二胡「無限動」・・・世界的二胡奏者の趙磊(ツアオ・レイ)さんのコンサート。
ピアノは阿部篤志さんで、2018年11月7日に東京のけやきホールで収録した番組です。
演奏する曲は中国の古典音楽から現代作曲家の作品までの広いジャンルに亘ってますが、最後に演奏されるイタリアの作曲家ビットーリオ・モンティの「チャルダッシュ」での自由自在な演奏は、とても弦が二本の楽器とは思えません。
番組へ

↑ PAGE TOP

<コーラス>
「アリババと15人の盗賊」<全27回>・・・これは〈アリババと15人の盗賊〉という合唱団のコンサートを記録した番組です。
え、変な名前だとおっしゃるのですか? では説明します。
〈アリババ〉は〈有り婆〉で、メンバーにリーダーの女房が居て、あとの15人は全員男という意味です。
アリババと15人の盗賊は歌謡曲を無伴奏で歌う異色の合唱団で、30年続き2017年に解散しました。
リーダーはなんと、恥ずかしながら(笑)『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーです。
宮島(以下:わたし)は独学で作詞、作曲、編曲、指揮、司会をしているのですが、お客さんを
①眠らせない、
②アンコールが終わるまで帰らせない
③来年も来ようと思わせる
というコンセプトでの演出と司会によって、面白いコンサートだという評判が立ち、どんどんお客さんが増えて、毎年秋にサントリーホールで3日、コンサートをやりました。
ホールの事務所の人たちも、アリババと15人の盗賊はいつも満席で、お客さんが笑っていると言ってサービスしてくれました。
コンサートに招待した事務所の女性や、わたしがやりたいことを知り尽くして完璧にフォローしてくれた裏方さんとは今でも仲良くしていますが、悩ましいのは、また戻って来てください(笑)と言われることです。
若ければ・・・ですね。
番組は30年のうちの15年の記録です。
なにせアマチュアなので聴き苦しく、見苦しいかと思いますが、楽しさだけはわかっていただけると思います。
番組へ

↑ PAGE TOP

<ポピュラー音楽>
「下町お寺タンゴ」・・・荒川区南千住の西光寺の本堂で開催された、アルゼンチンタンゴのライブです。
え、お寺でタンゴ!と驚く人も多いと思います。
チラシに出てるこの日の顔ぶれは
パパ早川(バンドネオン)
ママ美希(ピアノ)
提琴吉田(ヴァイオリン)
和尚笠原(歌)
司会:グランパ飯野
企画:親父ミヤジ
ふざけたコンサートに見えるかもしれませんが、プレーヤーたちは真面目なのでご安心ください。こんなふうにしたのは下町や檀家の人たちが行きたくなるライブにしたかったからです。
演奏した曲目は「エル・チョクロ」、「ジェラシー」、「奥様お手をどうぞ」といったタンゴの定番から、現代曲の「オブリビオン」、「リベルタンゴ」まで幅広く、おまけに西光寺の笠原和尚さんが歌います。
番組へ

↑ PAGE TOP

〈音楽教育〉
サントリーホール室内楽アカデミー・ワークショップ<シリーズ>・・・酒の会社サントリーの貸しホールがこんなことをやってることに驚く人もいるに違いありませんが、やってるのです。
サントリーは50年前からサントリー芸術財団を通じて、活躍した音楽家にサントリー音楽賞を出しています。1986年に開館したサントリーホールの館長でチェロ奏者の堤剛さんは宮島プロデューサーが日本テレビで作った「私の音楽会」の常連ゲストです。
今回の番組はアカデミーの講師のひとりの練木繁夫さん(ピアノ)が宮島に勧めてくれました。練木さんも「私の音楽会」の常連ゲストでした。
初めてワークショップの収録に行って驚いたのは講師には堤さんと練木さんのほかに宮島が旧知の原田幸一郎さん(ヴァイオリン・元・東京クァルテット)と毛利伯郎さん(チェロ・元・読売日本交響楽団)も居たことです。
ワークショップは
A)アンサンブル参加:1.弦楽四重奏 2.ピアノ三重奏 3.その他室内楽編成(ヴァイオリン/ヴィオラ/チェロ/ピアノ)
B)個人参加:1.弦楽器(ヴァイオリン/ヴィオラ/チェロ) 2.ピアノ
を募集して2年間研修します。
アカデミーでは生徒たちの演奏を聴いた講師たちが、曲が作られた背景、楽譜の解釈、表現、テンポ、音の出し方、指使いについて鋭く、しかし温かいアドバイスをすると、演奏がみるみる良くなります。
この指導は、その曲を演奏したことがある演奏家ならではのものです。
この番組は音楽を学ぶ若者たちと音楽が好きな人びとに役立つと思います。
Vol.1
Vol.2

↑ PAGE TOP

小松真知子 タンゴ・ピアノ塾【アルゼンチンタンゴの極意】
出演:小松真知子(ピアノ)、吉田篤(ヴァイオリン)、田辺和弘(コントラバス)、早川純(バンドネオン)、オルケスタ・デ・タンゴ・ワセダ(早稲田大学)
みなさんはアルゼンチンタンゴを知ってますか?
バンドネオンの情熱的な響きに乗ってセクシーな男女が踊る音楽です。頭をリーゼントに固めた男に操られた女がくるくる回ったり、スラッと伸びた長い足をパッと蹴り上げる様子はたまりませんね。
この番組はタンゴピアノの第一人者で、戦後の日本を風靡したタンゴバンド「早川新平とオルケスタ・ティピカ東京」の最後のピアニスト、小松真知子さんと『昔のテレビ局』の宮島プロデューサー(以下、わたし)とが相談して作りました。
わたしは若い頃、友人に連れられて行った銀座の小さなバーで小松さんのピアノを聴いて、小松さんの虜になりました。 ふだんは優しい顔つきの小松さんがタンゴを弾き始めると形相が一変し、化けます。 わたしはこの時の小松さんにも惚れています。(笑)
公私混同の今回の番組は小松さんにアルゼンチンタンゴ特有のピアノの弾き方を公開レッスンの形で習うものです。 小松さんは、いくらピアノが上手くてもアルゼンチンタンゴは弾けないと言います。
教室は東京、雑司ヶ谷のタンゴバー「エルチョクロ」で、通常の営業の中で開催しました。
だから常連で小松さんのファンのお客さんたちは呑みながら小松さんの講義と、小松真知子タンゴクリスタルの演奏を聴いているわけです。 お客さんにも配った教材は小松さんが作った、タンゴの基本である三拍子の譜例です。
生徒は早稲田大学の学生タンゴバンドの男女二人のピアニストで、一流のプロのミュージシャンと一緒に演奏するのが初めての二人は緊張してましたが、とても良い演奏をしてくれました。
番組へ

↑ PAGE TOP

小松真知子&タンゴクリスタル【ラ・プニャラーダ】
『昔のテレビ局』で〈アルゼンチンタンゴの極意〉の公開レッスンをしている小松真知子さん(ピアノ)がリーダーのバンドです。
曲名の「ラ・プニャラーダ」は「ナイフの一突き」という意味です。
迫力がある演奏をお楽しみください。
番組へ

↑ PAGE TOP

<絵画と音楽>
「絵画と音楽が織りなす水のコンチェルト」・・・日本画家の川田恭子さんがピアニストの吉村直美さんの演奏を聴きながら、即興で絵を描く番組です。
吉村さんが弾くのは即興曲でなく、良く知られた西洋の名曲ですが、それを聴いて湧き上がるインスピレーションで川田さんが日本画を描き、その絵が会場にセットされた大きなスクリーンに映し出されるのを見ながら吉村さんが弾く、言うなれば東西の文化が響き合って一枚の絵になる画期的なこのイベントが開かれたのは東京、南麻布のセントレホールで、番組はその87分10秒をノーカットで収録したものです。
完成した作品は、なんとその場でオークションにかけられ、会場に詰めかけた川田さんのファンのひとりが落札しました。
さあ、どんな絵が、いくらで売れたかを番組で確かめてください。
番組へ

↑ PAGE TOP

<健康と医学>
「腎臓がんの手術を経験て」・・・大手旅行会社のツアーコンダクターとして世界を飛び回っていた大山あかねさんは、自分の身体に違和感を覚え、検査の結果腎臓がんと診断されました。
いろいろ悩んだ末に手術を受け、今は社会復帰している大山さんが貴重な体験を語ります。
大山さんは宮島プロデューサーが癌から回復した人を探していることを聞いた親しい友人が紹介してくれました。日本人の3人に1人は癌になると言われてますが、みなさんの周りにも癌で苦しんでいる人がいる、いえ、みなさん自身が癌で苦しんでいるかもしれません。
この番組は癌との付き合い方のヒントになると思います。
番組へ

↑ PAGE TOP

〈健康と医療〉
「女医JOYプロジェクト」<シリーズ>・・・3人の女医さんが現代人の悩みに答える番組で、毎週一回、新しい番組が公開されます。
この番組をプロデュースしてる鈴鹿久美子さんの本業は、政治家の秘書の育成です。 鈴鹿さんは自身も秘書の経験があり、その中で痛感したのが、日本の政治を良くするには、良い秘書を育てる必要があることを痛感して始めた仕事です。
政治家でなく、秘書を育てる。 これをどう解釈するかはあなたの自由です。 余談ですが、『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーは田中角栄と個人的な縁があります。
田中角栄の有名な目白御殿は宮島の母方の祖父、田原久吉の屋敷でした。 久吉は島根県出身で、荏原製作所を創立した久原房之助に弟子入りし、久原にその働きが認められて、大金を貰って独立しました。 亀戸に工場を作り、富国強兵の波に乗って大成功した久吉が目白に建てた、総檜づくりで二階建ての屋敷には、当時珍しかった家庭内電話があり、宮島は子供の頃、錦鯉が泳いでいる池で沢蟹をとって遊んでいた〈究極のお坊ちゃん〉(笑)です。
屋敷が角栄の手に渡った経緯は省きますが、だから宮島は角栄と個人的なつながりがあるわけです。 宮島は戦後の政治家の中で、戦争で全てを失った日本で列島改造を成し遂げた角栄だけを認めています。
良い秘書が政治を良くするという鈴鹿さんの考えが実を結ぶことを期待します。
それはともかく、この番組シリーズのテーマは〈健康と医療〉です。
番組へ

↑ PAGE TOP

「呼吸と細胞活性」<全2回>・・・これは大勢の人に見ていただきたい番組です。
『昔のテレビ局』の宮島社長(以外わたし)は2019年5月、昼酒で酔い、階段でつまずいて大怪我をしました。 後頭部を7針縫う頭蓋骨骨折、腰椎の圧迫骨折です。
救急車で運び込まれた病院が気に入らなかったわたしは治療の途中で病院を飛び出した(またやった!)ものの、これからどうするか途方にくれてるところで友人から、試しに受けてみないかと言われて、受けた治療の記録がこの番組です。
わたしを指導(医師ではないので治療と書きません)したのは松本孝一さんという施術師(医師ではありません)です。
子供の頃に身体が弱かった松本さんは空手で身体を鍛え、その中で発見した〈正しい呼吸により細胞を活性化させれば、細胞は自分で治り始める〉ということを、病気で悩む人のために生かしているのです。
しかし、驚いたことに、初めて会った松本さんはわたしの身体に指一本触れませんでした。 仰向けで寝てるわたしに正しい呼吸のやり方を教え、あとは、椅子の立ち方、座り方を教えてくれました。 これで治るのかと半信半疑でしたが、根が素直(嘘!)なわたしは家に戻ってから、習ったことを忠実に実行しました。 「するとどうしたことでしょうか、あれほど、身動きするのさえ大変だったわたしが、しだいに歩けるようになったではありませんか」(ビフォーアフター!)というわけで、わたしは怪我をした半年後にアメリカ旅行をしました。
この2本の番組は公開してからずっと多くの人に見られてます。
自発治癒力を生む養生 呼吸と細胞活性 その1
自発治癒力を生む養生 呼吸と細胞活性 その2

↑ PAGE TOP

<戦争と平和>
「広島1945年8月6日午前8時15分~原爆被爆者たちの証言」・・・には4人の被爆者が登場します。
彼らは広島の地図を指差しながら、自分はどこで、どんな体験をしたかを生々しく語ります。
一瞬の閃光の中で完全に崩壊した街の中を命からがら逃げる途中で会った、全身に火傷を負い、助けを求める人を助けられなかった辛さと申し訳けなさ。
戦争のあとの原爆症の苦しみと被爆者へ偏見の中で自分と家族が生き抜いた体験談を聞いていると、二度と戦争をしてはならないという気持ちになります。
さあ、わたしと一緒に1945年8月6日午前8時15分の広島に行きましょう。
番組へ

↑ PAGE TOP

「子どもシネマスクール作品」<全8回>・・・このシリーズは元映画スクリプターの竹下資子さんが作りました。
竹下さんは若い頃、『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーと日本テレビで同僚でしたが、一念発起して映画の道へ進み、撮影現場の全てを記録するスクリプター(記録係)になり、その後NPO法人日本映画映像文化振興センター の代表理事となりました。
宮島が2017年に『昔のテレビ局』の構想を日本テレビ鳩友会(同窓会)の季刊誌に発表したところ、竹下さんは、使い走りでいいから参加したいいう熱烈な手紙をくれました。これに喜んだ宮島はすぐさま竹下さんと話をして、竹下さんが作った子どもシネマスクールの映像を『昔のテレビ局』で公開することが決まりました。
シリーズは〈ソロバン〉〈講談 本牧亭〉〈よさこい踊り〉〈東日本大震災 避難者いじめ〉〈こどもの貧困〉〈地域で支える認知症〉〈道徳のものさし〉〈自転車マナー〉というキーワードで作られていて、現代社会の問題を大人と子どもが一緒になって考えるストーリーの作品です。
出演者のほとんどは素人ですが、制作スタッフはプロで、本格的な作品に仕上がっています。
番組へ

↑ PAGE TOP

<文化>
【ことば・文化・歴史】<シリーズ>・・・国際交流基金から派遣され、ハンガリーのブダペストで日本語教育をしている林敏夫さんが文化と言語との関係を熱く語ります。
林さんは宮島プロデューサーの高等学校の後輩で、宮島が母校の卒業生たちがFacebookに作っているグループに『昔のテレビ局』を手伝ってくれる人は居ないかというメッセージを発信したのに手を挙げてくれたのが番組を作るきっかけです。
林さんが『昔のテレビ局』の真面目な番組は日本語教育の良い教材になると言うので、局は世界各地の日本文化センターに教材として使うようメールで依頼しました。
これは『昔のテレビ局』のグローバル化です。 地球の遠いどこかで外国の人が番組を見てるのを想像すると嬉しくなります。
番組へ

↑ PAGE TOP

<視聴者参加>
「歌う花屋さん」・・・立教大学グリー・クラブOBで筑波の花屋さん、三木啓成さんは歌いながら花を売っています。
三木さんは現役時代のヨーロッパ演奏旅行で、宮島プロデューサーが編曲したビートルズ曲集の「イエスタデイ」のソロを歌いました。
番組へ

「AI与太バナシ」・・・今、世界が注目している人工知能(AI)について、前田健一工学博士がAIはこれからどのように進歩するか、そこにはどんな問題があるかを話します。 前田さんはインタビューをする宮島プロデューサーの高等学校の後輩です。
番組へ

↑ PAGE TOP


「ダニー・ケイとニューヨーク・フィル」・・・今は亡きアメリカの有名なコメディー俳優のダニー・ケイがニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団を指揮します。
指揮の合間にステージを行ったり来たりながらジョークを連発してお客さんを爆笑させ、最後にはアメリカを礼賛して国家を演奏します。
途中で自分は楽譜を読めないと言いますが、眉つばなぐらいに見事な指揮ぶりで、オーケストラがダニー・ケイのアクションに応えて笑顔で動くのも見ものです。
コンサート全体が愛に溢れ、見ていて幸せになる番組です。
番組へ

「ホフヌング音楽祭」<前半後半・・・1959年に35歳で亡くなったイギリスの風刺漫画家、ジェラード・ホフヌングは音楽でも風刺の精神を発揮しました。
自らの企画によるコンサートでは指揮棒を握るほどに熱を入れ、漫画と同じに笑いに重点を置いた冗談音楽でお客さんを楽しませました。
この番組では「水道ホースと管弦楽のための協奏曲」などという曲が聴け、いや見られます。水道ホースを引きずってステージに登場した4人の若者がオーケストラと協奏曲を演奏(笑)します。楽器でない水道ホースはズーズーと鳴るだけなので、音楽とは言えませんが滑稽な光景です。
番組へ(「ホフヌング音楽祭」前半)
番組へ(「ホフヌング音楽祭」後半)

↑ PAGE TOP


「ハレルヤコーラス」・・・クリスマスのアメリカの屋内フードコートの昼下がり、店内に流れている音楽の音色が突然オルガンに変わります。
曲は「ハレルヤコーラス」の前奏。すると店員らしきひとりの女性が「ハレルヤ!」と歌い始め、男性がそれに続き、レストランの周囲から歌い手が現れ、客が立ち上がりみるみる人数が増えてきます。
番組へ

「第九」
ヨーロッパと思われる街角に男性のコントラバス奏者が立っていて、前には裏返しの帽子が置いてあります。彼は町の音楽師。
そこに少女が来て帽子にコインを投げ入れると、音楽師は演奏を始めます。
演奏はヴァレ交響楽団 (the Vallès Symphony Orchestra)
番組へ

↑ PAGE TOP

「ハレルヤコーラス」・・・場所は日本のクリスマスの昼下がりのレストランです。
店内に流れていた音楽が「ハレルヤコーラス」の前奏に変わると、ひとりの女性が「ハレルヤ!」と歌い始めます。
それに男性が加わり、歌い手がどんどん増えて演奏が盛り上がり、初めは驚いたお客さんたちも、演奏が終わると大きな拍手を贈ります。
番組へ

↑ PAGE TOP

「4人のチェリストと1台のチェロによる<チャルダッシュ>」・・・4人のチェロ奏者が1台の楽器で早弾きをします。
チャルダッシュはハンガリー語で「酒場」という意味のチャールダに由来し、兵士が居酒屋(チャールダ)で兵士募集のために踊り、それが農民の改作も交えて次第に芸術的要素を増していき、19世紀にチャールダーシュとなったそうで、お客さんを楽しませる早弾きはチャルダッシュにつきものです。
日本には古館由佳子さんというジプシーヴァイオリンの名手がいます。
話は脱線しますが、10年ぐらい前、わたしがブログに「高橋圭三ビッグプレゼント」という番組にハンガリーのジプシーバンドを呼んだ思い出を書いたのを古館さんが見て、もしかすると自分がハンガリーで習った師匠のバンドかもしれないというコメントをくれました。 わたしは師匠の名前を覚えていなかったので、番組で通訳をしてくれたアジャコシュ・フェレンツさんという、ハンガリー動乱を逃れて日本に来て大学生だった人に連絡して確かめたのですが、師匠の名前はわかりませんでした。
もう一つ脱線しますが、どうしてわたしがフェレンツさんに連絡できたかというと、フェレンツさんは大学卒業後、スタイリーという健康器具を売る会社を設立し、テレビのコマーシャルに出演していたのをわたしは発見して連絡を取ったことがあるからです。 みなさんも🎶スタイリースタイリー🎶という歌をバックに外国人が屈伸する器具の上で体操をしたあと「みなさん、わたしに連絡してください」と言うコマーシャルを覚えておられるかもしれませんね。
そして最後の脱線ですが、フェレンツさんはその後ハンガリーに戻ってビールの製造会社を作り、大成功しているそうです。
4人のチェロ奏者の話に戻りましょう。
演奏する曲はビットーリオ・モンティ作曲の〈チャルダッシュ〉ですが、どの人が、どの弓が、どの手が、どの弦が、どの指が音を出しているのか、さっぱり分かりません。まるで曲芸みたいですが、わかるのは弾いている彼らも楽しんでいることだけです。
番組へ

↑ PAGE TOP

<テレビ>
「ギニョさんカリキュラマシーンを語る」<全9回>
みなさんは1970年代に日本テレビで放送された「カリキュラマシーン」という番組を見たことがありますか。
「カリキュラマシーン」は低学年の小学生と幼稚園児を対象とする教育番組で、初歩の算数と国語を教えたのですが、表現が今のテレビでは使えないもので、子供たちに強烈な印象を与えました。
例えば算数の引き算ではこんな具合です。
・・・・・・
土手の上に死刑囚が10人立っている。
N「死刑囚が10人」
機関銃が4人を射殺する。
N「4人が射殺された。残りは何人?」
画面に10個の白いタイルとその上に10の数字が現れる。
N「タイルが10」
4個のタイルが動いて画面の外に消え、その上に一4の数字が現れる。
N「10引く4、残りは6」
画面は土手のシーンに戻り、残った死刑囚たちが歓声を上げて喜び合う。
・・・・・・
こんなのは自主規制だらけの今のテレビでは作れません。 しかし「カリキュラマシーン」は思いつきで、でたらめをやってたわけではありません。 裏にはきちんとしたカリキュラムがありました。
「山びこ学校」の著者、無着成恭さんが教諭だった明星学園のカリキュラムに従っています。 無着さんは文部省の指導要領に反対して、明星学園独自の教科書を作っていました。
「カリキュラマシーン」を企画していた「ゲバゲバ90分」のプロデューサー、井原高忠さんは無着さんと会い、構想を話しました。 それに賛成して無着さんが言ったのは「子供が喜んで覚えるならどんな教え方でも構わない」でした。
そんなわけで、あのハチャメチャな番組ができたわけです。
「ギニョさんカリキュラマシーンを語る」のギニョさんは「カリキュラマシーン」の中心ディレクター、齋藤太朗(たかお)さんで、風貌がフランスの操り人形ギニョールに似てることからギニョというあだ名が付いた人です。 ギニョさんは「カリキュラマシーン」に自分も出演し、番組の最後に手を振って「じゃまた」と言ってたことで知られています。
さて、『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーは「カリキュラマシーン」のディレクターの一人で「死ぬほど忙しかったけど、死ぬほど作るのが楽しい番組だった」と言います。
「ギニョさんカリキュラマシーンを語る」を見ると、テレビの番組はかくあるべしというのがわかります。
番組へ

↑ PAGE TOP

「宮島将郎今のテレビに喝」<全11回>
日本テレビで「だんいくまポップスコンサート」などのクラシック音楽番組と、伝説的幼児教育番組「カリキュラマシーン」を作った『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーが、テレビはかくあるべしと熱く語ります。
番組へ

「パピプペポロン」<全18回>・・・宮島プロデューサーは住んでいる地域のケーブルテレビが面白くないので「パピプペポロン」という番組を作りました。
そのきっかけは、2005年のある夜、宮島が悪名高き2チャンネルの「カリキュラマシーン」の掲示板で大勢のファンが番組について熱心に話しているのを発見したことです。
宮島は自分が演出したシーンについて、あれは誰が作ったのだろうという発言を見て思わず名乗り出ました。そのシーンというのは、男の股にけん玉の玉がぶら下がっている光景に〈またのたま〉という文字が縦に表示され「またのたま下から読んでもまたのたま」というナレーションがかぶさる短いシーンです。ね、変なシーンでしょう?
最初は宮島が誰なのか疑われましたが、宮島がブログで「カリキュラマシーン」のことを書いたのを読んだことがある人が居て、間もなく疑いは晴れ、それからは質問攻めにあいました。
ディレクターはみんな同じですが、番組が将来どんなふうに評価されるか考えず、無我夢中で番組を作っていた宮島はこれに驚きました。 そして「カリキュラマシーン」のような番組を一緒に作る提案をしました。すると何人かが手を上げてくれて、番組名は「パピプペポロン」、テーマは道徳、オンラインで台本を集め、宮島が住む埼玉県入間市で収録することが決まりました。
細かい経緯はhttp://www.papipupeporon.com/で見てください。
そして出来上がったのが18本の20分番組です。全国のケーブルテレビ局が買ってくれるに違いないという宮島の目論見は見事に外れ、総製作費の500万円は空の彼方に消えましたが、懲りない宮島は機会があれば、今度は『昔のテレビ局』で何かやろうと目論んでいます。すでに決まっている番組名は「ガリギュラマジーン」、出演者は全員老人(笑)の教育番組で、局の資金繰りが順調になったら作り始めます。
番組へ

↑ PAGE TOP

<子ども>
「ベビー・ポリスマン」
企画 宮島将郎
構成 城悠輔
音楽 小島希伊子
製作 モザイク
よちよち歩きの赤ちゃんたちがお巡りさんに扮して演じる(?)コントです。
赤ちゃんが勝手に動いたり、交流する光景に、ベテラン俳優のセリフをかぶせてあります。なにしろ赤ちゃんのお巡りさんですから、町はテンヤワンヤです。
撮影は、途中で寝ちゃう赤ちゃんや、泣いたりする赤ちゃんがいて大変でしたが、お母さんたちが付き添ってくれて無事に終わりました。 赤ちゃんたちの愉快なリフを書いたのは放送作家の草分けの城悠輔さん(故人)で、城さんはJ.ユースキーの名前でパーティージョークもたくさん書いています。
シーンを盛り上げてる音楽は、ピアノ教室の先生の多くが使う教材の人気作曲家、春畑セロリさんの作で、番組のクレジットに出てる小島希伊子という名前は春畑さんの本名(かも)です。
さあ、可愛らしい赤ちゃんのお巡りさんたちの仕事ぶりを見てください。
番組へ

↑ PAGE TOP

<ヒーリング>
「ダールンの気ままな旅」<全8回>・・・原作と構成は青島美幸さん、絵本作家と放送作家の二つの顔をもってます。
番組ではダールンという名前の妖精が、わたしたちを春夏秋冬のきままな旅に連れて行ってくれます。
ダールンは毎日が気ぜわしいわたしたちの心を慰め、癒してくれます。
さて、青島さんのことを少し話しましょう。
青島さんのお父さんは放送作家で東京都知事にもなった青島幸男さんです。
青島さんは日本テレビのヒット番組「シャボン玉ホリデー」の台本を書いていて、娘の美幸さんは中学生の頃「カリキュラマシーン」に出演していました。
「カリキュラマシーン」のディレクターだった、『昔のテレビ局』の宮島プロデューサーは、最年少の美幸さんをみーちゃんと呼んで可愛がりました。
「カリキュラマシーン」が終わってから長い年月が経ち、宮島が『昔のテレビ局』を設立する時、放送作家になっていた美幸さんに声をかけ、美幸さんはダールンの番組を提供してくれました。人の縁はありがたいですね。
さあ、ダールンに会いに行きましょう。
番組へ

↑ PAGE TOP