昔のテレビ局とは

昔のテレビ局の原点となる5つの発想

プロデューサー宮島が所属したテレビ局の同窓会で昔番組を作った仲間たちから今のテレビは面白くないから見ない
と言われた。
スポンサー企業の社長たちは趣味は芸術鑑賞なのに、自社が提供してる番組の内容は宣伝部任せで知らない。
団塊の世代のテレビ視聴調査で、彼らは今のテレビ番組でなく、昔のテレビ番組を見たいと答えた。
高齢者が見る番組が無い。
しかし、今のテレビの若い制作者たちに昔のような番組は作れない。

昔のテレビ局を発案した宮島は日本テレビの開局9年目(昭和37年)に入社しました。
麹町の局舎は2階建て、スタジオは小さいのが2つ、スポンサーも無く、機材も貧弱で、番組作りの手本も無い、無い物尽くしの状態でした。

しかし、手探りの中でディレクターたちは自分の好きな事をテーマに番組を作りました。

音楽が好きなディレクターは音楽番組を、落語が好きなディレクターは芸能番組を作ったのです。

そして次第にスポンサーが増え、右肩上がりで局が成功しました。

昔のテレビ局はそんなテレビの歴史をインターネットで再現します。

局では、すでに数多くの番組を用意していますが、視聴者とスポンサー企業に歓迎されるか否かはやってみなければわかりません。

スポンサーには料金が高額な地上波に手が出ないけど、自慢の商品やサービスを持っている企業や個人を想定しています。

いずれにせよ、奇想天外な昔のテレビ局が成功するか否かは、これまた、やってみなければわかりません。
だからこそやってみます。

昔のテレビ局株式会社代表取締役・プロデューサー
宮島将郎

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