ヒロシマの被爆体験講話
浅野温生証言者
中学2年生であった14歳の時、呉市沖の船の中で原爆の閃光とキノコ雲を見る。翌日、自宅へ帰るため広島市内へ入った。
新井俊一郎証言者
中学1年生であった13歳の時、食糧増産で農村支援出動先の東広島市から広島へ向かう途中、原爆炸裂の閃光を見て広島市内へ入った。
李 鍾根(い じょんぐん)証言者
広島第二機関区に勤務していた16歳の時、職場に向かう途中、爆心地から1.8km離れたところで被爆。
井口健証言者
中学2年生であった14歳の時、爆心地から1.5km離れた動員先の工場で点呼をとる集会室へ向かう時に被爆。
大田金次証言者
幼稚園児であった5歳の時、爆心地から900mの自宅で、幼稚園に行くため玄関を出たときに被爆。
岡田恵美子証言者
小学校3年生であった8歳の時、爆心地から2.8km離れた自宅で2人の弟と飛行機の爆音を聞いて手を振っていたときに被爆。
小倉桂子証言者
小学校2年生であった8歳のとき、爆心地から2.4km離れた自宅近くで被爆。
笠岡貞江証言者
高等女学校1年生であった12歳の時、爆心地から3.5km離れた自宅で被爆。
梶本淑子証言者
高等女学校3年生であった14歳の時、爆心地から2.3km離れた動員先の工場で、飛行機のプロペラ部品を作る作業中に被爆。
川本省三証言者
小学校6年生であった11歳の時、学童疎開先の広島県三次市(みよしし)で広島市への原爆投下を知る。3日後、迎えに来た姉とともに自宅のある広島市内に入った。
岸田弘子証言者
6歳の時、爆心地から1.5km離れた自宅のトイレの中で被爆。
北川建次証言者
小学校5年生であった10歳の時、爆心地から1.3㎞離れた学校の校舎内で、オルガンを弾いていたときに被爆。
切明千枝子証言者
高校1年生の15歳の時、病院に向かう途中、爆心地から1.9㎞離れたところで被爆。
國分良德証言者
中学4年生であった16歳の時、爆心地から1.8km離れた自宅で、動員先の工場へ出かけようとしたときに被爆。
河野キヨ美証言者
女学校2年生であった14歳の時、爆心地から35km離れた郊外の自宅で広島市への原爆投下を知る。翌日、2人の姉を探しに市内に入った。
近藤康子証言者
4歳のとき、爆心地から3.5km離れた川の中で、友達と遊んでいたときに被爆。
篠田恵証言者
女学校2年生であった13歳の時、爆心地から2.8㎞離れた自宅の居間で、柱に寄りかかり弟に折り紙を折っている時に被爆。
清水弘士証言者
3歳の時、爆心地から1.6km離れた自宅で、母と遊んでいた庭から家の中に入ったときに被爆。
白石多美子証言者
小学校1年生であった7歳の時、爆心地から4km離れた学校の教室で、本を開いたときに被爆。
新宅勝文証言者
東洋工業(現マツダ)に勤めていた19歳の時、夜勤明けのため、爆心地から1.5㎞離れた自宅で眠ろうとした時に被爆。
末岡昇証言者
小学校1年生の時、訪問先の親戚宅で原爆の閃光とキノコ雲を見る。12日後、爆心地から800m離れた祖父母宅へ行くため広島市内へ入った。
瀬越睦彦証言者
広島に縁故疎開(えんこそかい)したことで、小学5年生だった11歳の時、爆心地から2km離れた自宅で、食卓についたときに被爆した。
竹岡智佐子証言者
17歳の時、爆心地から3.7km離れた自宅で、家を出ようとしたときに被爆。
寺前妙子証言者
高等女学校3年生であった15歳の時、爆心地から550m離れた動員先の広島中央電話局で、2回目の作業にかかるため廊下に整列していたときに被爆。
寺本貴司証言者
小学校5年生であった10歳の時、爆心地から1km離れた自宅で疎開先の友人に手紙を書こうと机に向かっていたときに被爆。
長尾ナツミ証言者
高等女学校2年生であった14歳の時、爆心地から1.4㎞離れた学校で、動員先に向うため、校庭に集合していた時に被爆。
中西 巖証言者
旧制中学校4年生であった15歳の時、爆心地から2.7km離れた動員先の工場で作業に出発するために倉庫の前で待機していたときに被爆。
朴 南珠証言者
女学校1年生であった12歳の時、妹と弟を疎開先まで送っていくために乗った路面電車が、爆心地から1.9km離れたところにいたときに被爆した。
細川浩史証言者
17歳の時、爆心地から1.3kmの広島逓信局(ていしんきょく)で被爆した体験と、被爆死した妹の生と死をたどりヒロシマを伝承していきたい。
御堂義之証言者
9歳の時、爆心地から1.5km離れた自宅前で被爆。崩れた家の下敷きになった。
八幡照子証言者
8歳のとき、爆心地から2.5km離れた自宅から出掛けようとした時に裏庭で被爆。
山本定男証言者
中学校2年生であった14歳の時、爆心地から約2㎞離れた東練兵場で、畑の草取り作業のため集合していたときに被爆。